【導入|昨年を振り返る】

昨年、何度こう思っただろうか。

「こんなに頑張っているのに、なぜ何も変わらないんだろう」と。

気づけば、気力も、時間も、お金も、そして何より心が、静かに擦り減っていた。
踏ん張って、立ち上がって、また転んで。
そうしているうちに、ただ“耐えているだけ”の日々に変わっていった。

目標も、理想も、計画もあったはずなのに、気づけば「生き延びる」ことがすべてになっていた。

それでも、やめなかった。
きっとあなたも、そうだったのではないかと思う。

今日この文章に辿り着いたあなたへ、問いを投げかけたい。

「この一年、本当に“何も残らなかった”と言えるだろうか?」

 

 

【 壊れかけた経験の言語化】

正直に言えば、今年は何度も「もう無理かもしれない」と思った。

本業では責任ばかりが重くなる一方で、裁量も評価も置き去りにされたまま。
気づけば、朝起きるだけでため息が出ていた。


誰も悪くない。けれど、誰も何とかしてくれない。
そういう“どこにも怒りをぶつけられない場所”が、いちばん人を削っていく。

副業も、何とか形にしたかった。


「成果を出さなきゃ」「周囲に遅れをとってはいけない」と焦っていたけれど、
その“焦り”こそが、思考を濁らせ、判断を狂わせていった。

 

SNSでは、努力が報われた人たちの言葉が並ぶ。
「継続すれば必ず結果は出る」「失敗は成長の糧になる」
その言葉が、かえって自分を責める刃に変わった。
なぜなら、自分は“継続しても、変われなかった側”だからだ。

やる気があるのに、動けない。
動こうとしても、体がついてこない。
「今日はもう、何もしたくない」そう思って、ただ横になって過ぎていく時間。
その自分を許せないまま、また夜が来る。

まるで、自分の中から“誠実さ”だけが剥がれていくような感覚だった。

壊れたのではなく、削られて、静かに失われていく
それが今年、最もリアルに感じた「自分の変化」だったのかもしれない。


 

 

【 気づいた“構造”】

あまりにも多くの人が、自分を責めている。

「努力が足りなかったからだ」
「自分には才能がなかったのかもしれない」
「もっと早く始めていれば…」

だけど、ある日ふと気づいた。
これは、誰かの“せい”ではない。
そして、自分の“能力不足”でもなかった。

むしろ、私たちが置かれていたのは——
壊れることを前提とした場所だった。

本業では「責任」だけが膨らみ、「裁量」や「余白」が奪われていく。
副業の世界では「早く結果を出せ」という圧と、「成功者の物語」が氾濫している。
構造はこうだ。

「成果を出せない人」は“努力不足”というラベルを貼られ、自然と消えていくように設計されている。

誠実に、真面目に、時間をかけて築こうとする人ほど、
このスピード競争からはじき出されていく。

それを、自己責任論で片づける風潮もまた、構造の一部だ。

誰も「あなたは悪くない」と言ってくれない。
だから、自分で自分を責めるようになる。
そして、気づけば自尊心ごと、崩れていく。

でも、だからこそ言いたい。
これは、“あなたの問題ではない”。

構造がそうさせていたのだ。
場所が、あなたを削っていたのだ。
あなたの「誠実さ」は、壊すべきものではなく、
評価されない場所にいたことが問題だったのだ。

 

【それでも残ったもの】

すべてが止まったように思えた日々があった。
体も動かない、心も前に進めない。
「何もできなかった一年だった」
そんな言葉が何度も頭をよぎった。

でも、静かに見つめ直すと、そこには確かに“残ったもの”がある。

 

それは——
思考するという行為だけは、止まっていなかったということ。

身体は疲れ、行動は止まり、実績や結果など何ひとつなかったとしても、
心の中で「これは本当に正しいのか?」と問い続けていた。
「もっと誠実に、もっと深く生きられる場所はないのか」と探し続けていた。

そして、何より大きかったのは——
誠実さを、最後まで手放さなかったこと

「楽な方がいい」
「もう適当に生きればいいじゃないか」
そんな囁きが何度も聞こえてきた。

けれど、やっぱり自分をごまかせなかった。
搾取や欺瞞には加担できなかった。
口当たりのいい言葉ではなく、本質を見ようとしていた。

それは、行動以上に尊い「誠実な態度」だったと思う。

そしてそれこそが、
何もできなかったように見えた1年の中で、静かに育っていた強さだったのだと、今なら思える。


 

 

【 読者への静かな言葉】

ここまで読んでくれたあなたに、静かに問いかけたい。

もし今、「何もできなかった」「進めなかった」と自分を責めているのなら——
もしかしたらそれは、「壊れた」のではなく、ただ深く消耗していただけかもしれません。

 

無理にポジティブになる必要はありません。
未来の目標も、明るい展望も、今はまだ描けなくていい。
ただ静かに、「あの状況で、よく耐えてきた」と、自分に声をかけてあげてほしいのです。

 

もしかすると、あなたの中にも、誰にも評価されなかった“誠実さ”があったのではないでしょうか。


誰にも届かなくても、形にならなくても、
それでも「ちゃんと生きよう」とした意志があったのではないでしょうか。

それは、どんな数字よりも、行動よりも、尊いものです。

この社会では、「正しくあろうとする人」ほど損をしてしまう。
けれど、正しさを捨てることが、生きやすさの唯一の答えでもない。

だから私は、こう伝えたい。

あなたは間違っていないかもしれない。

ただ、あなたの誠実さを評価する“場所”が間違っていただけかもしれない。


 

 

【締め|希望を押し付けない終わり】

来年の目標は、書きません。
前向きな抱負も、あえて語らないことにします。

なぜなら今、必要なのは「前を向くこと」よりも、
「静かに立ち止まり、消耗した自分を認めること」だからです。

「生き延びた」という事実に、もっと敬意を払ってもいい。
動けなかった日も、迷っていた夜も、すべてあなたの人生に必要だったのだと思います。

 

誠実に生きようとした。
壊れそうになりながらも、それでも考えることをやめなかった。
それは誰かに見えなくても、意味のある“生”の証です。

この文章が、あなたの中にわずかでも“居場所”のようなものを作れたのなら、
それが、今年最後のささやかな願いです。


 

昨年は、「正しくあろう」とするほど苦しくなり、
「頑張るほど報われない」感覚に、何度も立ち止まりました。

そんな中で少しずつ見えてきたのは、
“迷いを終わらせるための視点”と“壊れないための前提”でした。

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