消える命の意味。 | 愛知県一宮市 ピアノ教室ff(フォルテッシモ)

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夢はピアニスト。日本には、もう住まない!
そう思っていた私の、運命の嫁ぎ先は、お寺でした。

藤原式ナチュラルメソッドで、
楽に表情豊かに音楽を奏でるレッスンをお届けします。

お寺といういつもと違う空間で、
音楽を楽しみ、心をまあるくしてみませんか。

おととしから、「いのち」について、

正面から向き合うことが増えていました。

 

知らない間に、消えてしまったいのち。

突然、「余命」という期限をつけられた、いのち。

そして、ほんとうに、突然消えてしまった、いのち。

 

 

いのちについて。

あ、そうかと思ったこと。

 

いのちは、お与えではない。

「あずかりものだ」ということ。

いただいたのではない。

少しのあいだだけ、お借りしたものではないかと。

 

それも、ただただ、無条件に与えられたもの。

この世に生まれてくるにあたって、

わたしたちが自分自身で勝ち取ったのではないのだと思うのです。

 

だから、わたしたちのこの命は、

いつかはお返ししなければならないのだということ。

 

そして、そのときがいつ来るのかは、誰にも分からないのだということ。

 

無条件でお借りしたいのちは、

無条件でお返ししなければならない、ということ。

 

 

浄土真宗八世蓮如上人の御文に、

「白骨の御文」というものがあります。

 

真宗大谷派のお葬式では、必ず読まれる御文です。

 

 

……(前略)

(人の死とは、)私が先なのか、人が先なのか、

今日かもしれないし、明日かもしれない、

人より後であろうが先であろうが、草木の根元に雫が滴るよりも、葉先の露が散るよりも多いといえます。

それゆえに、朝には血色の良い顔をしていても、夕には白骨となる身であります。

 

……(後略)

 

 

もしも、あなたが余命2年と告げられたとしても。

そのそばにいる、健康そのものの人のほうが、絶対に長生きする、

とは限らないのです。

 

 

 

わたしたちの命は、はかないものです。

なんの約束もないものです。

 

でも、大切なのは、「今は生きている」ということです。

 

そして、わたしたちは、「明日を信じ、今を生きる」のです。

もしかして、わたしの命は、次の瞬間に、消えるかもしれない。

 

でも、「わたしが生きてきたこと」は、誰かの心に残り、

誰かの中で生き続ける。

 

その誰かの人生において、生きていく……。

 

いのち生き、いのちを繋ぐとは、そういうことではないかと思うのです。

 

 

幼くなくなってしまった、いのち。

若くして、消えてしまった、いのち。

 

その命を生きた本人が幸せだったかどうかを、決める術はわたしたちにはありません。

 

でも、その「いのちたち」に意味を持たせるのは、

残されたわたしたちがどう生きるのか、ではないでしょうか。

 

いのちが消えるそのときまで。

わたしたちは「今を、いきる」。

 

そうやって、「いのち」をつないでいく。

 

 

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心に、美しい虹をもって。