今日は、少々真面目なお話を。
(いつも真面目なんですけれどね)
お寺の話です。
以前にも、同じような質問をされたのですが、
また同じような質問があったので、
ここでお答えさせていただこうと思いました。
ある、お寺様からのお話です。
Q:自分はつらい思いをしたことがないので、相談されても困ります。
気持ちが正直、わかりません。
何をお話すればよいのでしょうか。
お答えいたします。
A:分からないなら、黙っていましょう。
黙って、その方のお話を聞いて差し上げましょう。
(時折、相槌はうって差し上げましょう)
最悪なのは、さも知ったかぶりをして、説教を垂れたり、
道徳をふりかざすことです。
苦しみなんて、同じ体験をした人にしかわかりません。
絶望なんて、したことのない人にはわかりません。
もっと正しく言うのなら。
その人の苦しみは、その人にしかわかりません。
それなのに、さも、自分はわかったふり、
経験が多いふり、
悟ったふりをして話す人の、なんと多いことか。
この、質問を下さった方は、ご自分が「わからない」とおっしゃっていて、
とても素直な方だと思います。
人は簡単に悟れるものではありません。
正直、僧侶であろうと、悟っているなんて、定かではありません。
人は、人の上には立てない、と思うのです。
だから。
誰かを諭してあげようとか、導いてあげようとかではなく、
一緒に歩んであげることが大事だと思います。
わたしが、真宗の中で好きなのは、「同行」という言葉です。
わたしたちは、すべて、阿弥陀様へ同じ道を行く、仲間である……。
僧侶であっても。
なくても。
等しく同じ道を行く、お仲間である。
そこには、上も下もない。
紫陽花の季節となりました。
境内にも、紫陽花が咲いております
みなさまが、明日も、幸せでありますように。
合掌。