https://photos.app.goo.gl/kLwnEeoTiagrFegw7
写真はたまに見返すからいいのかもしれない。
毎日見るものじゃない。1年でどれだけ多くのものを失ったのか、大事な人たちと離れてしまったのかを、思い知るだけだもの。ヤク中は時間の感覚がおかしいのだ。子どもがいればまだいい。子どもの成長が時間を取り戻させてくれる。ある女は言ってた。ヤク中ではない彼女は、アタシなんかもう毎日動きまくって夜ビール飲みたいだけ飲むのが楽しみなだけで、もうはやく自死したいよ。なんて言う。俺は女には甘いのだ。いちいち間に受けるなんて馬鹿すぎるのは分かってるのだが。彼女は前の男との間の子どもはもう成人してどこかにいることや、自分の父のことなど話したあと、今の旦那との間の子どもがまだ小さいから、自死っていっても何十年か先のつもりだけどね。だって。何十年も先かよ…
自死されたら子どもはやりきれないよ、とか俺は彼女に返事してたのだ。見た感じ俺とそれほど年が離れてるように思えないが。俺はいつ死がきてもおかしくはないと思い、彼女は何十年か先を思う。彼女は自分には自信がないといい、自己肯定なんてできない、と言う。けどね、子どもはアタシをぜんぶ肯定してくれるの、と言う。
そりゃそうだよな…そんなふうに丸ごと受け入れてくれる存在がいれば、しあわせだよ。
俺も子どもの頃はしあわせだった。なんだかんだいっても、今思えば嫌な思い出なんか一つもない。父にも母にも、今も会いたいと思う。会えるものなら、夢でもいいし化けて出てきてもいい。
俺の嫌な記憶は俺自身がしたことなんだ。だから今も自分を愛することなんてできない。
愛される存在になりたくないんだ。ある人はそれを、君はしあわせになりたくないんだ、と言う。
ちょっと違うんだ。俺はしあわせにはなりたい。愛されなくていいが、一緒に歩いてくれるだけで、いいんだ。最初に愛されることを望まれても、そんなもの散り散りにくだけてるよ。かき集めるのには協力者が必要だが、もうどこにも、いなかった。