カレーと爺様
最近実家で過ごしているのはなんとなくブログ見てたら分かるかなとは思うんですが、
ちょっと落ち着いた事があったので近況報告します。
少し心配を誘う様な内容に思えるかも知れないので
あらかじめ言っておきます。
落ち着いたので心配無用です。回復してます。
ツアーが終わって帰宅後、今日はゆっくり休もうと思って寝てました。
夜、目が覚めると母から留守電が入っており、
「爺ちゃんが危ない」
って内容でした。
こっちから電話をかけ直して容態を確認、
っても説明下手な家系なんで焦りと危機感だけ分かって、
でももう東京から石川へ向かうのは間に合わない状況だったので
「明日向かう」
って事でそのまま出発の準備をしたんですが、
時間が余ってしまったのと落ち着かないので
思い出した様に食事の準備をしました。
爺ちゃんの好きなカレーを作ろうと思いました。
んでそれを食べて、後はもっていこう。
多分食事なんかとれる状況じゃないけど、
良くなってカレーを一緒に食べよう。
そう思えるだけで気持ちが楽になれる気がしたんですよね。
んで朝になって石川戻る途中に何度か母と連絡とってて、
何度目かに
「意識が戻った」
って一安心しつつも状況を自分で確かめなきゃ心配は残るもので、
病院近くの駅に母が迎えにきてくれてそのまま病院へ、
意識が無い状況で一晩過ごした母は昨日より少し落ち着いた様に感じました。
雑菌の侵入を防ぐ為か、足をかざして開けて入る病室に緊張していたら、
看護士さんの待機室の近くに何台かあるベットで爺ちゃんはいました。
夜だし薬も残っている様子で朧げな表情でしたが、
目を開けているだけで救われました。
僕は多分涙もろいんで泣いてました。
呼吸器は無かったけど、何個か繋がってる器具の中には
喉に繋がってるのもあって話せませんでした。
話しかければ頷いたりの意思表示があって、
母、爺ちゃんと三人でしばらくいました。
せっかく意識戻って回復してるのに
こんな顔してたら爺ちゃんが自分が危ないって思ってしまうかな?
って思ったり、時間がたったのもあって僕も落ち着いてきて、
状況なんかも確認して病院を後にしました。
家に向かう間に、婆ちゃんを伯父さんが車で送り迎えしつつ見舞いに行ける様に
母と話し合ったり、姉に状況を報告しました。
姉は医療関係なんで色々分かる事もあって、
おかげで家族が安心出来る事もありました。
次に会いに行った時は相変わらず心電図はとりっぱなしだったけど病室も移って、
今後の回復の方向を看護士さんに説明してもらい、
毎日見舞いに行く婆ちゃんと伯父さんに伝えました。
爺ちゃんの時間が止まった時に喉につけた機器による
傷跡の回復に努めるってのが今の状況で、
点滴からゼリー状の食事、お粥等の柔らかいものから
通常の食事が口に出来るさまになれば退院出来るそうで、
母と僕は実家をまわして、その確認をお願いしました。
早くて2、3日と言われたゼリー状の食事も、
意識が戻ってから2日目で開始出来ました。
それからは安心しながら帰って来れる様過ごしています。
その中で婆ちゃんは心配疲れして見える日があったんで食事の用意を省略するのに
カレーは食べました。
病院で爺ちゃんは「ナマコが食べたい」って言ってたんで、
カレーはまた作る事にします。
俺は東京でGOGO カレー食べたい気分ですww
一度ひたすらテンパったのと順調ですよ
って事で近況報告これで終わりです。
黙っててもいい事だろうけど自分の気持ちの整理の為にも書かせて頂きました。
他意を感じた方いらっしゃったらすいません。
なんでこれからはバンドの事、下らない事、
また書いていきますんでブログもバンドも宜しくお願いします。
長文よんでくれた方有り難う御座います
画像無し!
ちょっと落ち着いた事があったので近況報告します。
少し心配を誘う様な内容に思えるかも知れないので
あらかじめ言っておきます。
落ち着いたので心配無用です。回復してます。
ツアーが終わって帰宅後、今日はゆっくり休もうと思って寝てました。
夜、目が覚めると母から留守電が入っており、
「爺ちゃんが危ない」
って内容でした。
こっちから電話をかけ直して容態を確認、
っても説明下手な家系なんで焦りと危機感だけ分かって、
でももう東京から石川へ向かうのは間に合わない状況だったので
「明日向かう」
って事でそのまま出発の準備をしたんですが、
時間が余ってしまったのと落ち着かないので
思い出した様に食事の準備をしました。
爺ちゃんの好きなカレーを作ろうと思いました。
んでそれを食べて、後はもっていこう。
多分食事なんかとれる状況じゃないけど、
良くなってカレーを一緒に食べよう。
そう思えるだけで気持ちが楽になれる気がしたんですよね。
んで朝になって石川戻る途中に何度か母と連絡とってて、
何度目かに
「意識が戻った」
って一安心しつつも状況を自分で確かめなきゃ心配は残るもので、
病院近くの駅に母が迎えにきてくれてそのまま病院へ、
意識が無い状況で一晩過ごした母は昨日より少し落ち着いた様に感じました。
雑菌の侵入を防ぐ為か、足をかざして開けて入る病室に緊張していたら、
看護士さんの待機室の近くに何台かあるベットで爺ちゃんはいました。
夜だし薬も残っている様子で朧げな表情でしたが、
目を開けているだけで救われました。
僕は多分涙もろいんで泣いてました。
呼吸器は無かったけど、何個か繋がってる器具の中には
喉に繋がってるのもあって話せませんでした。
話しかければ頷いたりの意思表示があって、
母、爺ちゃんと三人でしばらくいました。
せっかく意識戻って回復してるのに
こんな顔してたら爺ちゃんが自分が危ないって思ってしまうかな?
って思ったり、時間がたったのもあって僕も落ち着いてきて、
状況なんかも確認して病院を後にしました。
家に向かう間に、婆ちゃんを伯父さんが車で送り迎えしつつ見舞いに行ける様に
母と話し合ったり、姉に状況を報告しました。
姉は医療関係なんで色々分かる事もあって、
おかげで家族が安心出来る事もありました。
次に会いに行った時は相変わらず心電図はとりっぱなしだったけど病室も移って、
今後の回復の方向を看護士さんに説明してもらい、
毎日見舞いに行く婆ちゃんと伯父さんに伝えました。
爺ちゃんの時間が止まった時に喉につけた機器による
傷跡の回復に努めるってのが今の状況で、
点滴からゼリー状の食事、お粥等の柔らかいものから
通常の食事が口に出来るさまになれば退院出来るそうで、
母と僕は実家をまわして、その確認をお願いしました。
早くて2、3日と言われたゼリー状の食事も、
意識が戻ってから2日目で開始出来ました。
それからは安心しながら帰って来れる様過ごしています。
その中で婆ちゃんは心配疲れして見える日があったんで食事の用意を省略するのに
カレーは食べました。
病院で爺ちゃんは「ナマコが食べたい」って言ってたんで、
カレーはまた作る事にします。
俺は東京でGOGO カレー食べたい気分ですww
一度ひたすらテンパったのと順調ですよ
って事で近況報告これで終わりです。
黙っててもいい事だろうけど自分の気持ちの整理の為にも書かせて頂きました。
他意を感じた方いらっしゃったらすいません。
なんでこれからはバンドの事、下らない事、
また書いていきますんでブログもバンドも宜しくお願いします。
長文よんでくれた方有り難う御座います
画像無し!