自分は基本的にアメリカのドラマは大嫌いだ。

 

エロとご都合主義とアメリカは正義、U.S.A. is No.1が好きじゃないからだ。

 

子供の頃はむしろ楽しんでいた。

 

奥様は魔女

刑事コロンボ

警部マクロード

ナイトライダー

 

どれも楽しかった。キャラも立っていたし、日本のドラマには無いアメリカの風が心地よかった。(そしてそれらは実際にアメリカで味わっても同質のものだった)

 

それがツイン・ピークスから気持ち悪く感じるようになった。自分とは合わなかっただけだと思う。作品は否定しない。でも好きになれなかった。その後大人気になってみんな観ていたERシリーズも全然食指が動かず今に至る。

 

約30年ぶりくらいに観始めたきっかけはシールチーム

 

 

 

の予告をちょっとだけ観る機会があり、本編を観はじめたからだ。通常であればアメリカン・ヒーロー全開になるところがアメリカとテロ(イスラム社会)の戦いにおける矛盾や葛藤がかなり緻密に描かれていて、場面や兵器考証などもかなりしっかりと設定が起こされており、lなにより日本ドラマでは考えられないクオリティで制作されている。オススメできる。

 

そしてこのシールチームの放送の後、テレビをつけっぱなしだったことで観始めたのがこのホームランドである。しかも8年続いた大作ドラマの最終回手前5話くらいから観始めた(笑)

911に始まるアメリカとイスラム社会の戦いをCIA女性局員キャリーを中心に展開されるスパイ・ドラマなのだが、その精緻でリアルで、ご都合主義やUSA!ではない作風がこれまでのアメリカン・ドラマとはまったく異なる。勿論、破格に面白く、昨年やっと終わった最終話はラスト1分に視聴者が腰を抜かす信じられないようなオチ(エンディング)が用意されていた。

 

今、自分は追いかけるように・・・ではなく、終わりに繋がるものを探すように過去作品(シーズン7~1)を視聴している。

 

脚本は在米のイスラエル人とのことだから、それもあってアメリカ万歳ではないのかもしれない。タリバンやISIなどの組織を一方的に断罪するような設定にもなっておらず、イスラム社会との信頼を志す(夢見る)アメリカ人の苦悩が丹念に描かれ、過去の全てのドラマや映画と1線も2線も画す

ゼロ・ダーク・サーティーのような映画を好ましく感じた人であればきっと納得して貰える作品だ。観てみて欲しい。

 

 

 

 

今更の南方熊楠ですが新情報というよりは最近考え始めた自分の新見解です(汗)

南方熊楠にはご存知の通り、いくつもの最強伝説がございまして。
イギリスで知り合った孫文が日本に来た時わざわざ和歌山まで会いにきたとか、アメリカの農務省植物産業局長がわざわざ日本にやってきてアメリカへの招聘を伝えたが断ったとか、まぁいくらでもあるのですが、やはり誰もが一番にあげるのは名誉なだけでなく、エピソードが全て面白おかしい昭和天皇に御前講義した一件でしょうか。

戦艦長門!で紀州・田辺湾に乗り付けて
長門
画像引用元 http://blog.livedoor.jp/irootoko_jr/archives/850162.html 

小舟で天皇自ら迎えに出て長門に招き講義を受けたというお話はそれだけでもネタとしては最高なのですが、熊楠としてはらしくない、だが昭和天皇のお話としてはとってもクールで素敵で納得出来るエピソードなのです。熊楠らしくないと僕が語るのは彼は権威とかまったく意に介さないキャラだから。殆どフーテンの寅さんの人なので(笑)

熊楠山中


おみやげとして、大切にしていた標本を沢山もっていって楽しく話をして帰ってきたらしい。そして貰ったお菓子を奥様に持たせて記念写真まで撮っている。余程嬉しかったのでしょう。

記念

この話は昭和天皇や熊楠の人柄を知る素晴らしいエピソードなワケですが、歳を重ねてなんとなく「この話はそれだけじゃないのかもしれないな…」と、考えるようになってきました。

まず1つ目。
これは現代的に解釈したのであれば・・・・・お互いがお互いを良く知ってはいたものの、実際には会ったことが無い世界最高の、「オタク」(陛下に対して非礼なのはお許し下さい)ふたりの短くも最高の邂逅だったのだと、思えるようになったのです。オタクの皆さんならきっと何度か経験があるでしょう。初めて会った人なのに好きなモノが同じなのでまるで10年来の親友のように話が出来てしまったことが。

二人は本来、立場上また物理的にも出会えるものではなかった。基本的に僕ら一般ピープルでもマニアックなジャンルで悦びを共有出来る人は周りに殆どいないものです。インターネットが無ければほぼ出逢うことはないでしょう。昭和天皇と熊楠にはその接点になり得るジャンルがあった。それが昭和天皇の要望によって30分だけ実現した。その悦びは如何許か。ちょっとだけ分かりそうな気がしたのです。

標本

そして2つ目は神島(かしま)のことです。
熊楠は陛下に会う前から和歌山沖にある神島という離島の樹木一切が伐採されるときき、当時としては先駆的にこの保護活動に取り組んでいました。時系列で言うとこんなかんじです。

1907年 神社合祀運動によって神島神社が大潟神社と合祀が決定
伐採が始まり、その代金で新庄小学校の校舎改築
1909年 熊楠反対運動開始
1912年 和歌山県が神島を魚付き保安林に指定
1920年 国会で神社合祀無益の決議
1929年 昭和天皇が神島に上陸。熊楠御前にてご進講
1930年 和歌山県の天然記念物に指定
1936年 国の天然記念物に指定

神島上空

ここからは私の想像です。昭和天皇はただ単に熊楠に会いにきたのではなく、熊楠のことも、熊楠の保護運動のことも何もかも承知で神島を(自らの権威によって)Untouchableにする為に島まで来たのではないのか?と。

行幸艦隊

この解釈を「随分と穿った解釈だなぁ」と思われる方も多いと思いますが昭和天皇という人物は実は「かなり頭が良く、また合理的にかつ、深い愛情と気配りを以て物事を考え、判断し、行動する賢帝」だったことは他のエピソードを見聞きしてすぐにわかります。

昭和天皇近影

で、さもありなん・と思うわけです。彼がどれくらい頭が良かったかは御前会議においてティモール島攻撃を止めるよう発言したことなどからも想像に難くないでしょう。また、お気に入りの相撲取りを質問されても絶対に明かさなかった。(本人にも周りにも迷惑がかかることがわかっていたから)贔屓のテレビ番組も同様。

天皇陛下が自然観察に上陸した島をそのままにしておくことは出来ません。神島は最後には国の天然記念物にまでなってしまいました。

立場はまるで違えど同好の士に対する気配り、それを受け止めた熊楠。表には決して出てこない二人だけが分かり合えたものがあったのではないでしょうか?

神島は今もひっそりと当時のまま陛下と熊楠が邂逅した南紀の海に在って往時の雰囲気を伝えています。

神島横