こんばんは。

2023年度になって少しまたブログの更新がなされていますね。

 

このブログは3人で書き回していますので、内容がそれぞれ違うところが

面白い点ですね。

今日はイトーキーのターンです。魚あたま

 

カウンセリングセンターへんなのを立ち上げて、3年目に突入しました。

 

 

カウンセリングはもちろん行っていますが、それとは別に月1で

「フォーカシングの会」を開いています。鳥

 

今回はその様子を少しお話ししましょう。

 

フォーカシングは心理療法の一種なのですが対象はなんであれ

「どのように感じるか。」ということが基本です。

それがミソです。

 

今回のテーマは「沈黙」

 

人と一緒にいる、あるいは会話をしているときって

少なからず沈黙が起こりますね。

カウンセリング中にもそれはよく起こります。

 

その沈黙って少し怖いというか、居心地の悪さを感じやすいものです。

相手が何を考えているのか分からない、自分はどうしていいか分からない。

だからついついしゃべっちゃう。

 

ゆっくりと沈黙に耐え、待つということが達成されるときは

余裕がある時なのでしょう。

 

相手がどんなことを考えているか、どんな気持ちでいるかわかると

少なからず黙っておく助けになると思います。

 

そんなわけで「沈黙」をフォーカシング的に味わってみる

ということを試しにやっておりました。

 

やっていたことは以下の通り

 

・6人ぐらいが集まっていて、その中の1人が

 「何かを思い浮かべる」時間をとります。

 大体2~3分くらい。

 

・残りの人は、何かを思い浮かべている人の気配や呼吸、雰囲気

 といったものにどんな成分があるか、自分の中にどんな気持ちや

 イメージが沸いてくるかをもとにその人のことを感じてみます。

 

たったのこれだけなのですが、面白いことがたくさんあったのです。

 

まず他者が何かを思い浮かべる前の時点で、その人がどんなことを

思い浮かべようとしているかということが、自分になんとなく伝わってきたり・・・

 

きっとこんなことを感じているんじゃないのかなぁ・・・

ということがありありとイメージとして浮かんできたり・・・。

 

自分が「何かを思い浮かべる側」になったときは

「人に対する怒りと赦し」みたいなものを思い浮かべていました。

 

それを見て、感じ取っていた皆の感想は・・・

「グングングングングンって何かが昂まってきて、スーッと落ち着くような感じ。」

「怒り・・・?でもそれだけじゃないような感じ。」などなど

 

ブログメンバーのメンタくんには「なんか、今までに見たことないすごい表情だったよ。怒りのイメージと、仏のイメージが混在しているみたいな。」と言われました。

 

まさにそのようなことを思い浮かべていたのです。

ある人のことを思い浮かべると「いい加減にしろよ・・・。」

といったような怒りのような感情が沸いてくるけど

「まぁ・・・でも仕方ないよなぁ・・・。」といった感じもまた沸いてくる。

 

そしてそれは目に見えやすい表情から、目に見えない空気として

みんなに伝わっていたのでしょう。

 

 

このワークショップ?を通して私が得たものもまた

自分の感覚やイメージってもっと信頼してあげていいな

目に見えないけど、伝わってくるもの受け取れるものってあるなって感じでした。

 

その他にも、本来は味を受け取る器官ではない「指先で味を感じてみる」

なんておかしなこともしていました。

 

そちらは次回ブログメンバーのメンタ君に紹介してもらいましょう。

 

それでは、またそのうち。