8ヶ月くらい前のことだし。まだ、ブログに書いてない公演もあるし。
公演のあと、満月の劇団員になってくれた高島奈々さんは満月には『ヤミウルワシ』『ツキノウタ』に続いて3回目の登場でした。
突然、言えない相手の子どもを妊娠したことを娘(諏訪いつみ)から告げられるお母さんの役で、あっけらかんとした、飄々としてて、たくましい役を演じてくれました。
笑顔がステキでしたね。この役は笑顔がポイントで、ボクのオーダーにしっかりと応えてくれました。
娘さんと一緒に事故で亡くなってしまう役でしたが、娘の方は突然の事故死に直面した心情を語るシーンがあるのに対して、高島さんの演じるお母さんは、唐突に物語からいなくなってしまう。
その死の際で、娘が母への思いを語る時に、やはり観る人が思い起こすのはお母さんの笑顔でないといけないと思うのです。
娘が母を語るとき、鮮やかにその笑顔が蘇る。そして、それは成功していたと思います。
いないところで演じることが出来ていたと思うのです。
胎内記憶の話でもあり、物語には3人のお母さんが出てきますが、3人目のお母さんを演じたのは満月のみず。
早くに亡くなった親友(諏訪いつみ)の息子を引き取って我が子として育てます。実の娘(一瀬尚代さん)と分け隔てなく育てた、お母さんです。
物語は諏訪の演じるお母さんの物語と、その息子が成長し恋人を婚約者として家族に紹介する日の物語の2つの時間軸で進行しますが、その2つの物語をつなぐ役どころです。
みずの演じるお母さんの、親友への思いと、子どもたちへの思いが作品全体の背骨ですが、これを実に軽やかに演じてくれました。演技が軽いのと軽快なのは違うという言い回しを地でいっていたと思います。
どんなに深い悲しみを抱えていたとしても、どんなに辛い事件に遭ったのだとしても、どんなに強い愛情を秘めていたとしても、明るくすこやかに、そして軽やかに日常を過ごそうとしている彼女(みずの演じるお母さん)の姿勢には共感を覚えます。
圧倒的に襲いかかる日常というやつを、彼女はよく知っているんだろうと思います。
ただ、こういうコトは『脚本に書かれている』わけではない、ということをご留意いただきたいのです。
あくまでも、みずの描いた役の姿である、ということです。
たとえば、脚本を一言一句変えるコトなく、深い悲しみにうちひしがれ、折れそうになりながらも、必死に日々をしのぐ人物像として描くことも可能であったろうと思うのです。いや、可能です。
みずが、そして演出のボクが読み解いた、選び取った人物像はそうではなかった。
みずにしか出来ない、役を描いているのです。
もちろん、みんなそうな訳なんですが。
ボクは脚本に使われる役者はダメです、受け付けられません。役者は脚本を使わないと、と思うのです。ちょっと脱線しましたが。
どうも、続いちゃいますね。『ツキシカナイ』のお話は次でお終いということで。