突然ですが公演します☆
明後日、1月25日(火)の21時から、シアトリカル應典院2Fロビーです☆
コモンズフェスタの一環で展示されている高島奈々さん(七色夢想)の美術作品
の前で作品を上演します☆
ぜひ遊びに来てください☆
□□公演詳細□□
満月動物園のアート気どりvol.0
「悲しみのための装置2011」
the device for grief 2011
演出・構成:戒田竜治 出演:諏訪いつみ・河上由佳
2011年1月25日(火) 21:00
シアトリカル應典院 2F ロビー
観賞無料
20:30~ リハーサル/22:00~ 打ち上げ(参加自由・割り勘)
満月動物園のアート気どり
満月動物園にはかつて「月蝕」と冠した作品群がありました(2000年-2007年、6作品を発表)。これは、作品を上演する空間の特性を最大限引き出し、そこでしか成立し得ない作品を製作することを指向した作品群で、ストーリーを重視せずイメージの羅列によってメタファーのメタファーで構成する(主題の暗喩を暗喩する)スタイルをとり、核となるイメージ・主題を外郭から浮き出させていくという試みでもありました。時にはメタファーのメタファーのメタファーであったりしたものですから、非常に難解な作品群であったことも確かです。正直、なんで分からんねんとは思っていましたが。
この「月蝕」シリーズは空間の特性を最大限引き出すというスタイルが満月動物園作品全体に定着したことと、ストーリーの分かりやすさに重点を置くことにカジを切った時点で、内部的にその役割を終え、現在は作品製作を行っておりません。
今回の「満月動物園のアート気どり」はこの「月蝕」シリーズの後継として始めようかなと検討しているものです。
重点を置くのは、目的地よりも手段のための表現です。手段は手段として充分に表現になりえるのではないか、というのは「月蝕」シリーズの残したひとつの答えでした。
あと、満月動物園の作品に対して「分かりやすくて好き」とおっしゃってくださっているお客様に対して、これは分かりにくいですよという意思表示でもあります。本公演の満月動物園が好きなお客様、本公演とは別ですから、本公演の方に足をお運びください。
満月動物園以外のフィールドを設定することも考え、実際に上演を行ったりもしましたが、やはり私にとって満月動物園以外のフィールドはしっくりこず、新シリーズを立ち上げることを検討することにいたしました。「vol.0」とは検討中ですよという意思の表れです。
コモンズフェスタ
それでも公に上演するところまで至ったのは、先日、シアトリカル應典院のコモンズフェスタにおいて『太陽物語』という作品を発表した際に、コモンズフェスタの営みのひとつとして高島奈々さんの美術作品に出会ったことにあります。
高島さんの作品の美しさと、シアトリカル應典院という場所の持つ力があいまって、とても触発されました。そして、その作品はコモンズフェスタ期間が終了されれば撤去されるもので、なにかしたくても、今しか出来ないという危機感が今回の上演への運びです。人は締切があると頑張るものです。
覆いようもなく準備不足ですが、この衝動をそのまま舞台に載せてみたいと思います。
そして「月蝕」シリーズの後継として作品製作を行うにあたり2000年上演の月蝕-01で上演した「悲しみのための装置」というテーマ設定は私にとってとても自然なことで、また今回のコモンズフェスタのテーマとも合致しており、過去の脚本を引っ張りだすと2000年当時の私が英訳タイトルで「悲しみ」に「sadness」ではなく「grief」を使用してたことも、やはり「今」やらなければいけないと背中を押してくれました。
本来入念な準備のもとに行われる舞台製作に対して、見切り発車もいいところで、まったく目的地も見えておりませんが、手段のためにだけ力を注いでみようと思います。
悲しみのための装置2011 製作序文
真白の樹、彼岸、けれどそれを見つめる人の視線は様々。青く見える人がいたり、黄色く見える人がいたり、本人は白色を捉えているつもりであるけれども、他のものから見たときにその人の白は赤色だったり。
白色とは、無数の色が重なって構成されているものなのかもしれない。だとすると、重なる色は光で絵の具ではない。絵の具は重なれば黒になる。絵の具は見られなければ用をなさず、絵の具自身は何も発しない。色とりどりの人間を絵の具と捉えると見誤るのではないか。色を重ね黒く深い闇に落ち込むのではないか。人間は、人間の視線は光なのではないか。
視線は光で、外に向けられたものなのだとすると、。無数の人々が発する光が集まっていく場所を私たちは彼岸と設定して、この浮世を生きているのだろうか。
悲しみは闇ではなく光だ。
文責・戒田竜治(全文)