苦しくったっていいじゃない
今日は、僕のことについて記したい。僕は、今、休職中だ。体調不良から1年近く休んでいる。病院の診断は「うつ」僕にとって「うつ」は初めてではない。高校生の頃にも「うつ」になり、7年近く付き合って完治したと思われていた。高校時代、留年し、退学し、中途半端な自分がとても嫌だった。家族にも理解されず、苦しかった。大検を受けて、予備校に通い、大学に進学。大学では、多くの友人に巡り合った。一生手放すことのできない大切な友だ。だが、大学の頃もいろいろとあった。センセーショナルになるが、自分を消そうとしたことは1度ではない。その度に友人、教授などに迷惑をかけた。大学4年になれば就活があった。就活。あまり力が出なかった。なぜか。日本の就職活動という制度に疑問があったからだ。言い訳といわれれば言い訳だ。「なぜ、みんな同じ格好なのか。頑張ったことはバイトやサークル。」僕にとってそれは苦痛だった。別に僕はヤンチャではないが、髪は金髪にして、派手な服で大学に行っていた。今でいえば、メイプル超合金のカズレーザーさんみたいな感じだ。人と同じことに何らかの違和感を感じていた。とはいえ、僕も人の子。人と違うことばかりしているというわけではなかった。見た目だけはマイノリティ。でも、1人で何かできるほど強い人間ではなかった。欅坂46の歌の1節に「君は君らしく生きていく自由があるんだ、大人たちに支配されるな」とある。その通りだと思う。しかし、子どもは大人(特に自分の親)の期待に応えようとするもの。僕も途中から必死に就活をした。自分らしさ。そこにはなかったかもしれない。あったとしても、本当の自分らしさではない。作り物だ。入社して、自分の目標を抱いた。小さなころからの夢はラジオパーソナリティ。だが、全く違う職に就いた。だから、そのために新たな目標を決めた。そこに向けて自分は突き進んだ。会社のために。社会のために。慣れない仕事を理解しようと人一倍努力した。考えて考えて、より良くしようと。だが、新人。経験値はない。意見をしてもそれが通ることはほとんどない。それが会社という組織だ。日本の。(正確には、若手の意見が通る会社もあるが、僕の会社はそうではなかった)半年ほどして、原因不明のめまいや頭痛、吐き気、ひどい倦怠感に悩まされた。遅く帰宅し、寝て起きて働く。また遅くまで。私にとって何か好奇心を持つことはできなくなっていた。倒れた。家の玄関で。喋れなくなった。声が出なくなっていた。そこで、休みをもらって病院に行った。あれから1年。この社会はとても優しい。助けてくれる。しかし、自分は今の自分を憎んでいる。消したいほど。体は言うことを聞いてくれない。倦怠感、眠気。普通の生活を営みたくても難しい。果たしてこれは逃げなのか。自分は逃げているだけなのか。先日、父親と口論になった。「鬱は甘え。病気の診断もらっているからとダラダラして。お前は生きる価値無い。死にたきゃ死ねばいい。」そう言われた。誤解のないようにしたいが、私は父のことを嫌いになったことはない。尊敬している。だが、その日。私は本当にこの世を去ろうと試みた。久しぶりに試みた。必死になって、消える手立てを考えた。父はその姿を見て、自分の発言に反省したのか、私を止めた。だが、傷ついた私の心はそう簡単には戻ってこない。大泣きした。体中にある水分を全て出すくらい大泣きした。そして、家を出た。携帯電話を置いて。遺書と退職願を置いて。誰とも連絡の取れない状況にして覚悟を示した。しかし、その日は日曜日。多くの人が街を行きかっていた。楽しそうな人々を見て、さらに心は苦しくなった。自分だけ…何で、、、だが、それとともに、家族という存在があることを再認識した。笑顔でいられるのは健康だから。美味しいご飯を食べて、嫌なことも乗り越えて。私の苦しみは、理解してもらいたくても私にしかわからない。苦しくって苦しくっても明日は来る。2日後、父と顔を合わせたとき、父は自分は親として言ってはならないことを言ってしまった。深く反省している。ごめんなさい。と謝罪してくれた。僕はその時、親が僕を大切にしてくれていることに改めて気づいた。その日、9/1に学校に行きたくなくて自殺する子どもが多くなるというニュースを見た。そのことに関して著名人が逃げることが大事と言っていた。僕はその通りだと思う。苦しくて自分を消そうと思うなら逃げた方がましだ。だがしかし、消えたいと思う人のことが分からなくもない。僕自身、今、そうだからだ。消えることも逃げ。そういう風に考える人もいる。僕のように。だが、僕は思う。今だから。あの日。携帯電話を置いて、消えようと家を出たとき。家族がここまで育ててくれたこと。友人と楽しく過ごした日々。自分が夢をもって来た日々。何よりも。自分という大事な存在とともに生きてきた日々。大事にしなければならないのは、自分という存在は多くの人と関わりを持っているということだ。逃げたっていい。でも、逃げるならこの世界の中にしよう。ネットの世界だっていい。僕はTwitterのフォロワーの方々にいつも救われている。顔も知らない誰か。だが、その人たちがいたからこそ、今日の僕があるといっても過言ではない。何度救われたか。自分の未来は自分で切り開くしかないが、その未来の社会は人々によって作られる。マジョリティでもいい。マイノリティでもいい。生き方は人それぞれ。ただ、人は1人では生きられないし、1人で生きる社会はない。常に誰かと繋がっているから社会なのである。自分を守れるのは自分。だけど、自分を支えるのは自分だけではない誰か。見つけてみたい。それが医者かもしれない、家族かもしれない、友人かもしれない。僕もまだまだ悩む日々が続くと思う。だが、どんなに苦しくったって明日は来る。明日こそ最高の1日になるように。いつもそう思って眠りにつく。明日がだめでも明後日は。いつかくる本当に幸せな日を僕は待ち続けたい。シェイクスピアの『ハムレット』に以下のような言葉がある。「天と地の間にはお前の哲学などには思いもよらぬ出来事があるのだ」我々、一般人には思いもよらない出来事を待つのもまた一興なのだと思う。長々と書いてしまったが、このブログが誰かの心に留まることがあれば嬉しい。以上