父が買ってきた「『赤毛のアン』に学ぶ幸福になる方法」という本を読んだ。

なんでパパがこんな本を買ってきたんだろう?って思ったら、著者が茂木健一郎先生だった。あの脳科学者で、プロフェッショナルのキャスターもしてた茂木先生。茂木先生が赤毛のアンというのが意外で、そこに一番興味をそそられた。

内容は面白かったです。私は4章の「大人になるということ」という章が一番好きでした。


赤毛のアンは、私が初めてまともに読んだ本でした。中1のとき。おばあちゃんが買ってくれたんです。なぜか。

それまでの私は本を読むのなんて全然好きじゃなくて、自分で本を買ったこともなかったし、小学校の図書の時間も、全然ちゃんと読んでなかった。ただ本を読んでる男の子の顔を見ているのは好きだったので、本を読まずにずっと男の子を観察していた。恐い。つーかお前、ちゃんと本を見ろよっていう。この辺からもう、変態的な空気がぷんぷんしてます(笑)


そんな本嫌いだったのに、今こんなに本好きになるとは自分でもかなり不思議です。ただ、今考えてみると、小学校の本棚の本って全部子供じみたのばっかりで魅力を感じなかったからじゃないかなぁと思う。子供向けだからしょうがないんだろうけど。早熟でマセガキだった私はあの頃リアルな世界を求めていたので、子供向けのファンタジーはただ退屈でのめり込めなかった。多分、不倫ものとか、ドロドロした恋愛小説とかをあの頃読みたかったんだと思う。絶対小学校の図書室にゃないだろ(笑)っていうような本が。

とにかく、小学校6年間のうち、一度もちゃんと本を読まなかったくらい本を読むのが好きじゃなかったから、おばあちゃんから買ってもらっても、まぁもちろんすぐに素直に読んだりはしなくって、しばらくはそのままほったらかしていた。分厚くて、絵が1ページも載ってない無味乾燥な文庫本だったし、「しかも赤毛のアンだぜ?そんないかにも健全で素朴で美しそーな話、読めっかよ!」って感じでした。


それがなんで中1のときに読んだかというと・・・





友達がいなかったから。



うん、身もふたもないけど、事実です。

それで休み時間とかが暇で暇でしょうがなかった。でも中学校というつまらん規則だらけの場所で一人で出来るお手軽な娯楽といったら、読書くらいしかなかった。

そして現実生活に幸せを見出せていなかった私は、読書というのはすばらしい現実逃避の手段だということに気がつき、のめり込んでいくのでした。


うん、タイトル「読書と私」に変えたほうがいいんじゃね?って内容になってきてるけど。


で、赤毛のアンに戻りますが、そういうわけで、赤毛のアンは私がはじめてちゃんと読んだ本。でもまぁそれでその時、赤毛のアンが超大好きになったかというとそういう訳ではなくって、私はその時読書という行為自体に魅せられたんだと思う。



だってほら、私が好むのは、「赤と黒」とか松本清張とかだから(笑)趣向がそもそも違う。


だからその時はそんなに感じることはなくて、ただ読んでたって感じに近かったと思う。ただ美しい自然とか、素朴で温かい人たちとの関係とか、本当にいいなぁと思うようになったのは最近だと思う。そういうなんでもないようなことが、実は現実では一番難しいってことに気が付いてきたから。


アンを取り巻く世界はすべて美しくて温かい。

だから私は、「現実の世界はそんなに正しいことばっかりじゃないし、人間もそんなに美しくねぇーよ」と思って、リアルを追求する私としてはあまり好きになれないところがあった。

でも、「ああ、だからいいんだよな」と最近思い出した。

現実じゃあり得ないから、だからいいんだ。だから、仮想の本の世界ではそういう世界をつくったんだなぁと。


モンゴメリ自身、ぽかぽかぬくぬくというのとはまったく違う人生を歩んできたようだ。あの時代に、女が作家を志す時点で、そりゃあ大変なものだろう。葛藤や焦燥、絶望感。様々なものに苛まれ続けていたことだと思う。そんな彼女が、でもそのような黒い部分は一切省いて、ただ美しく温かいだけの世界を描いた。常にひたむきな主人公と、そのひたむきさのすべてが必ず報われる美しい世界を。それは彼女の夢であり、理想であり、祈りのようなものだったのではないかなと思う。


確かに太宰治の世界に浸っていても、幸せにはなれない。でも赤毛のアンのあの世界では、きっと誰もが幸せに暮らせるだろう。たとえ現実の世界がどうだとしても、そういう世界をひとつ心の中に持っていると、きっといつか救われることがあるんじゃないかなと思う。そういう拠り所となる世界をモンゴメリは作りたかったし、世界中でベストセラーになったということは、誰もがそういうものを求めていたんだろうなと思う。そう思うと、ただの薄っぺらい夢の世界の話じゃなくて、現実社会の暗い部分を反映したふかーい話なんだなぁと思う。


大人が子供に見せたがるのは綺麗でいい話ばっかりで、子供だましでつまらないとずっと思ってたけど、現実では色々難しいけど、こういう美しい世界を心の片隅にでももっていてくれれば、いつかこの子は少し救われるかもしれないっていう親心なのかなぁと思った。