― 善意だけに頼るのではなく、自分のための行動が社会のためにもなる仕組みを考える

社会をより良くするためには、一人ひとりが他人を思いやり、困っている人を助けることが大切です。

しかし、すべての人にそれを求めるだけで、社会の問題を解決することができるでしょうか。

人にはそれぞれ、自分の生活があります。

「自分や家族の生活を大切にしたい」
「将来の自分のために備えたい」
「自分が特に関心を持っている人や地域を支援したい」
「自分の子どもや孫には幸せになってほしい」

そう考えることは、ごく自然なことだと思います。

そこで私は、人々に自己犠牲や善意を求めるだけではなく、一人ひとりが自分にとって望ましい行動をした結果として、社会全体にとっても望ましい結果が生まれるような仕組みをつくることができないだろうか、と考えるようになりました。

私は、この考え方をここでは、

「自己利益・公共善整合型社会設計」

と呼んでみたいと思います。

これは既存の経済学や制度設計と重なる部分もあります。新しい学術理論を主張するものではなく、私自身がこれまで考えてきた二つの提案に共通する考え方を整理するため、ここではこの言葉を使います。

 

■ 自己利益と公共善を対立させない

「自己利益」という言葉には、少し否定的な印象があるかもしれません。

しかし、ここでいう「自己利益」は、「自分さえ良ければよい」という意味ではありません。

単なる金銭的な利益だけでなく、

自分の将来を安心できるものにしたい。
自分が応援したい人を助けたい。
自分の故郷や大切な地域を支援したい。
自分の子どもや孫には幸せに暮らしてほしい。

といった、人が自然に持っている欲求や関心も含めています。

本稿では「自己利益」という言葉を、金銭的利益に限らない、広い意味での個人的な関心や動機として用います。

私は、こうした気持ちを否定する必要はないと思っています。

むしろ重要なのは、

「自分のため」と「社会のため」を、できるだけ対立させないこと

ではないでしょうか。

自分にとって良いことを選んだ結果、それが誰かのためにもなっている。

そのような制度や考え方を増やすことができれば、「善意のある人」だけに社会を支えてもらう必要は少なくなります。

 

■ 例1 高齢者を支えることが、被災地と将来の自分を支える

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私は、少子高齢化が進む社会への一つの提案として、**「貢献ポイント制度」**を考えています。

高齢化が進めば、介護や生活支援を必要とする人は増えていきます。

一方で、それを支える現役世代は減少していきます。

そこで、

「高齢者を助けるために、もっとボランティアをしましょう」

と呼びかけるだけでは、十分な担い手を確保できないかもしれません。

例えば、ある人がこう考えていたとします。

「介護にはそれほど関心がない。でも、被災地の人たちは支援したい」

また、

「誰かのために活動するのであれば、自分の将来にも何らかの形で返ってきてほしい」

と思う人もいるでしょう。

私は、そうした考えを否定するのではなく、むしろ社会の仕組みの中に取り込めないかと考えました。

例えば、

近所で高齢者の買い物、清掃、見守りなどを有償で手伝う。

↓

その活動に対する報酬を受け取る。

↓

希望する場合、その一部または全部を、自分が支援したい被災地や子ども支援などに寄付する。

↓

その寄付実績を「貢献ポイント」として記録する。

↓

自分自身が高齢になり、介護などを必要とするようになったとき、そのポイントを一定の自己負担の軽減などに利用する。

という仕組みです。

一つの活動が、

「身近な人を助ける」
「遠くの誰かを助ける」
「将来の自分を支える」

という三つにつながります。

この場合、参加する人が必ずしも「高齢者を助けなければならない」という強い使命感を持っている必要はありません。

「被災地を支援したい」

「自分の将来に備えたい」

という別の動機でも構いません。

しかし、その人が自分の目的のために行動した結果、地域では高齢者を支える人が増えます。

さらに、資格を必要としない周辺業務を地域住民が適切に担うことができれば、介護・福祉専門職が専門性の高い仕事に集中しやすくなり、サービス全体の費用を抑えられる可能性もあります。

その財政節減の一部を、将来の貢献ポイントの原資として利用できれば、

「誰かを助けるために新たな負担を増やす」

だけではなく、

「仕組みそのものが生み出す節減によって、次の支援を生み出す」

という循環をつくることができるかもしれません。

 

■ 例2 「自分の子孫には幸せであってほしい」から考える

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もう一つ、まったく違う問題についても、私は似た考え方をしています。

人種差別や宗教対立の問題です。

「すべての人を平等に愛しましょう」

と言われても、すべての人が直ちにそう考えられるとは限りません。

しかし、多くの人には、

「少なくとも、自分の子どもや孫には幸せになってほしい」

という気持ちがあるのではないでしょうか。

それなら、その気持ちから考えてみることはできないでしょうか。

人類は長い年月をかけて世界各地へ移動してきました。

その長い歴史の中で、人々はさまざまな土地で出会い、家族をつくり、世代を重ねてきました。

そして、それぞれの土地の環境や歴史の中で、外見や言葉、文化などに違いが生まれ、宗教や価値観も多様になっていきました。

さらに、人々は移動と交流を繰り返し、異なる背景を持つ人々が出会い、新しい家族をつくってきました。

今ある人類の多様性は、こうした長い歴史の積み重ねの中で生まれ、広がってきたものです。

この動きは、これからも続くでしょう。

何百年後、何千年後の自分の子孫を想像してみます。

その人たちの中には、今の自分とは違う外見をしている人もいるかもしれません。

違う言葉を話している、違う文化の中で暮らしている人もいるかもしれません。

違う宗教を信じている、あるいは宗教を持っていない人もいるかもしれません。

それでも、自分からつながっていった大切な子孫であることに変わりはありません。

では、その子孫たちが、

肌の色が違うという理由で差別し合ったり、

宗教が違うという理由で憎み合ったり、

互いを傷つけたりしている未来を、

私たちは望むでしょうか。

私は望みません。

ここでも、

「見知らぬ誰かを愛しなさい」

と要求する必要はありません。

「自分の大切な子孫には幸せになってほしい」

という、とても身近な気持ちから出発できます。

そして時間の範囲を少し遠くまで広げて考えてみれば、

人種差別や宗教対立の少ない社会をつくることは、現在の「他人」のためだけではなく、遠い未来の「自分の大切な人」のためでもある

と考えることができます。

 

■ 人間を変えるより、行動の行き先を変える

この二つの話は、一見するとまったく違います。

一つは少子高齢化や社会保障の問題です。

もう一つは人種差別や宗教対立の問題です。

しかし、私にとって根底にある考え方は共通しています。

一つは、制度やインセンティブの流れを変える試みです。

もう一つは、物事を見る時間軸や、自分と他者との関係の捉え方を変える試みです。

人に、

「もっと立派な人になってください」

「もっと他人を思いやってください」

「自分の利益を後回しにしてください」

と要求するだけではありません。

人がすでに持っている、

自分の将来を守りたいという気持ち。

自分が応援したい人を助けたいという気持ち。

自分の子どもや孫を守りたいという気持ち。

そうした気持ちは、そのままでよいと思います。

変えるべきなのは、人間そのものではなく、

その気持ちや行動が、社会の中でどこへ向かうのか

なのかもしれません。

 

■ 強い利他心を求めなくても、善い結果を生み出せる社会へ

もちろん、思いやりや善意は大切です。

私は、人を思いやる気持ちが社会から必要なくなるとは考えていません。

むしろ、こうした考えの出発点にも、思いやりがあります。

ただ、社会の重要な問題の解決を、思いやりや善意を持つ人だけに委ねることには限界があります。

人間には、利他心もあれば自己利益もあります。

家族を大切にする気持ちもあれば、自分とは関係のない問題には関心を持ちにくいという面もあります。

その人間の現実を否定するのではなく、そこから社会を設計する。

自分のために行ったことが、結果として誰かを助けている。

家族を守ろうと考えたことが、結果として他者への差別を減らすことにつながる。

一人ひとりの異なる目的が、最終的には社会全体にとって望ましい方向へ向かっていく。

私は、そのような社会をつくる方法を考えていきたいと思います。

それが、私の考える

「自己利益・公共善整合型社会設計」

です。

 

■ 最後に

社会を良くするために、人間の欲求をなくす必要はないと思います。

自己利益と公共善は、必ずしも敵同士ではありません。

制度のつくり方を変える。

人が物事を見る時間軸を変える。

自分と他者とのつながりを、少し広く捉えてみる。

制度を変えることでも、考え方の枠組みを変えることでも、自己利益と公共善が同じ方向を向く状況を増やしていく。

そうすることで、

「自分のために選んだ行動」が、
「誰かのための行動」にもなる。

そのような選択肢を社会の中に少しずつ増やしていくことができれば、

人々に大きな自己犠牲を求めなくても、

社会は今より少し良い方向へ進むことができるのではないでしょうか。