「アンダークラス」という名の見えない階層――日本社会は「絶望死」の予兆を見逃していないか
「アンダークラス」という言葉が日本で広く使われるようになったのは、比較的最近のことだ。しかしこの概念自体は古く、1960年代にスウェーデンの経済学者グンナー・ミュルダールが、技術革新の過程で十分な教育や訓練を受けられず失業や低賃金の仕事にしか就けない人々を「永久的な失業者、就職不可能者および不完全雇用者」と呼んだことに端を発する。

では、現代日本でアンダークラスはどう定義されているのか。早稲田大学教授・橋本健二の研究によれば、それは単なる「貧困層」とは区別される。一般に資本主義社会には、経営者などの「資本家階級」、管理職・専門職・上級事務職からなる「新中間階級」、現場で働く「労働者階級」、自営業者などの「旧中間階級」という四つの階級が存在するが、労働者階級が上下に分裂して「アンダークラス」が生まれた。具体的には、パート主婦、有期契約の専門職・管理職を除いた非正規雇用労働者がその中核をなす。

重要なのは、アンダークラスが「一時的な困窮」ではなく「構造的な固定」を特徴とする点だ。格差の大きい社会は格差が固定化しやすい社会でもある。アンダークラスが現代資本主義社会に不可欠の存在である以上、他のどれかの階級の親のもとに生まれた子どもたちがアンダークラスに転落するしかない。つまり貧困は連鎖するのではなく、外部から常に補充される。アンダークラスは社会の底を支える「消耗品」として機能しながら、そこから抜け出す梯子を持たない層なのだ。

日本でアンダークラスが形成された経緯をたどると、大きく三つの波が見えてくる。

最初の波は1990年代後半だ。バブル崩壊後、日本企業はコスト削減の手段として非正規雇用を拡大しはじめる。1990年の非正社員割合は18.3%だったが、2006年には33.0%にまで高まった。 絶対数で見ると、1990年に881万人だった非正規雇用者数は2014年に1962万人と2倍以上になった。

この波の中でとりわけ深刻だったのが、就職氷河期(1993〜2004年)の影響だ。1993年から2004年にかけての大学卒業者の就職率は平均69.7%と、その期間を除く1985年から2019年の全体平均80.1%を10ポイント以上下回った。 正規雇用の扉を閉ざされた若者の多くは、非正規雇用というレールに乗せられ、そのまま中年期を迎えた。氷河期世代の男性の55.0%が正社員を希望しながら、現在も希望する雇用形態で働けていない。

第二の波はリーマン・ショック(2008年)だ。派遣切りが社会問題化し、「派遣村」という言葉が象徴するように、それまで辛うじて安定を保っていた層も一気に転落を余儀なくされた。そして第三の波がコロナ禍(2020年〜)である。飲食・観光・サービス業を直撃したこの衝撃は、すでにアンダークラスに属していた人々を、さらに深い底へと押し込んだ。

誰がそこに落ちているか

2022年就業構造基本調査を基に橋本が算出したところ、日本のアンダークラスは890万人で、就業人口の13.9%を占める。59歳以下のアンダークラスの個人年収はわずか216万円であり、貧困率や健康上の問題を抱えている割合が高い。幸福感について尋ねた調査では、約4割の人が「自分は不幸だ」と考えていた。

顔を持った数字として、いくつかのグループが浮かび上がる。一つ目は非正規単身女性だ。アンダークラスの貧困率は高く、女性ではそれが五割に達している。 結婚によって家計を補完するという従来の「逃げ道」がなく、単身で低賃金の仕事を続ける女性たちの実態は、統計の外側に長く置かれてきた。

二つ目は就職氷河期を経た中年男性だ。アンダークラスの未婚率が大幅に高く、特に男性の未婚率は7割超になる。家族を形成し、子どもを産み育てるための十分な賃金を得ていないためだと橋本は指摘する。

三つ目は、かつては中間層にいながら病気・離職・家族の介護などをきっかけに転落した人々だ。たとえ現在、新中間階級や正規労働者階級に属していても、病気や親の介護などで一度会社を辞めてしまうと、アンダークラスから再出発せざるを得ないケースが少なくない。そして、いったんアンダークラスに転落すると、そこから抜け出すのは容易ではない。