人生は、選択の連続だ。

 

今日は何を食べるか

 

どんな服を着ようか

 

明日はどこへ行こうか

 

あっちもいい、こっちもいい。

 

選択肢があると言うことは、選ぶ力が必要だと言うこと。

 

決断を下さなければ、前に進めない。

 

これは、生きていると、時として辛いし面倒だったりする。

 

 

人生において重要だと思える選択においては、より一層そのプレッシャーを

 

自分に押し付けることになる。

 

 

買い物なんかは良い例だと思う

 

企業は人の興味と購買意欲をそそるために、次から次へと

 

新商品や改良品を

 

人の頭の追いつかないスピードで出してくる

 

結果、店の棚は違うようで同じような商品がどのカテゴリーにおいても

 

溢れている。

 

 

豊かになりすぎた現代においては、

 

選択肢が増えることは、必ずしも私たちの心を豊かにはしない。

 

次から次へとモノを買いあさり、とめどない消費意欲に疲れ果てる。

 

その結果の一つが、ミニマリズム(ミニマリスト)だ。

 

 

コロナ時代の新生活様式を余儀なくされた人間は、

 

見栄を張るためだけに買っていた洒落た洋服や

 

本当は必要のなかったものを手放して

 

自分の生活環境を改善し、持ち物をスリム化させることで

 

頭と心の中もスリム化させようとしている。

 

かく言う私も、

 

子供の成長とすっかり当たり前になった在宅ワークによって

 

自宅が手狭になってきたので、断捨離とフリマアプリを使った

 

モノ・デトックスを執り行っている。

 

多少なりとも愛着のあるモノ

 

ただ処分するだけだと悲しいが、

 

必要としてくれる誰かに買ってもらえるのは嬉しい。

 

心も体も生活環境も、軽くなった。

 

 

 

無駄な選択肢を増やさないよう、

できるだけ自分にとって本当に必要なモノ、

本当に大切なものを見極め、

快適なライフスタイルを継続していきたいと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

近ごろは、「歳を取ること」についてよく考える。

 

カメラを手に取り、美しい風景を撮影したり

 

絵を描いてみたり

 

日本についてもっと深く知っておきたいという

 

心から湧き出てくる何かと向き合おうとしている

 

これは、もはや

成功したいとか

幸せになりたいとか

自由でいたいとか

 

これまで自分の概念が

とても社会的で物質的な欲求に頼ってきていた

(そうなるまいと意識していたつもりなのだが)

その裏返しが

現れてきているような感じがする

 

 

この沸々と出てくる情はなんなのか

人として

この世界をしっかり見た、考えた、感じた

そう言って死んでいくための

ある種の準備なのだろうか

 

そんなたいそうなことではないのかも知れない

でも、自分が目にするとんでもなく美しい風景を

形に残しておきたい

それを、愛する人に見てもらいたい

 

ただそれだけなのかも知れない

 

 

 

 

 

 

 

あなたの5年先の未来はどうなっていますか?

 

 

3年後は?

 

・・・

 

1年後は?

 

・・・

 

6ヶ月後は?

 

・・・

 

 

 

ヴィジョンを明確にして、

たどり着きたいゴールに到達する

ロードマップを作成する。

 

それにもとづいて、

日々の戦略を立てる。

 

先々の未来を可視化させて

それに向かってひたむきに頑張る。。

 

それって、とても素晴らしいことですよね。

 

人として、こうありたいと自分でも思います。

 

思っていました、というのが正確かも。

 

 

 

自分も、在りたい姿や成し遂げたいこと、

どういう暮らしをして、

どんな人生を送りたいか

 

自分なりに真剣に考えて

これだ、これしかない

と思ったことを書き出して

壁に貼り付けて

生活してきました

 

そうして、目標に向かって

頑張ってきたのですが

途中で気づいたことがあるんです。

 

 

「俺、今、笑顔ないな」


毎日のタスクをこなせたり、

クリアすべきことをクリアできたとき

ちょっとした達成感は感じるのですが。

 

心が、どんどん沈んでいく気がする。

 

自分の理想の未来を描いて、

それに向かって突き進むのは、

決して楽では無い。

 

むしろ、大変な事の方が多い。

 

それは、理解と覚悟を持って取り組んでいました。

 

でも、

もし、

本当に自分が今、この瞬間を

自分の心(魂)が本当に求めているように生きていたら、

大変だろうと、楽しくなかろうと

きっと、心には笑みがあるはず。

 

 

そんなとき、とある言葉に救われました。

 

「今、ここ、を生きる」

 

先のことばかり考えていたら、焦りと不安で自分を滅ぼす。

過去のことばかり思い返していたら、いつまでも先に進めない。

 

私は過去のことはあまり考えないタチですが、

とかく未来に対しては、ここしばらくの間に

いつのまにか、余計に意識するようになっていたことに

気がつきました。

 

多分、

 

意欲を持ち、目標を掲げて進もうとした結果

自分に無理が生じていたのかもしれません。

 

また、今年はコロナ禍もあるし(まだまだ終息の目処はたたず)

 

ある意味で今までの自分らしくない行動をとり、

自らを変えようと必死なのかもしれません。

 

メンタルモデルという著書の中に、

人は誰もが生きていく上で持つ「痛み」を抱えており、

それが4種あるそうです。

※人によってどの類型かは違うみたいなので、詳しくは本を読んでください

 

そして、その痛みを解消できず、

本来の自分を取り戻せない状態で

世の中の都合に合わせる形で私たちは生きている、と。

 

痛みと向き合い、自分の良いも悪いも全て受け入れたとき

はじめて人生が自分の思う理想に向かって起こってくる。

 

その痛みから克服するか、逃げようとしても、

結局それは解消されず、またループしてくるだけ。

 

如何にして、自分を知り、自分の痛みを知り、

それを受け入れる生き方ができるか、が鍵のようです。

 

冒頭に記したように

目標をもち、目的をもって生きることは素晴らしいことだと思います。

でも、みんながみんな、同じようには生きられませんよね。

その日、1日を、一所懸命に生きる。

その方が、心から生きている感じを掴める人もいるし、

その方が、楽だと思える人もいます。

 

何が正解か、ではなく、

何が自分なのか。

ここを感じ取らなければならないのだと思います。

 

 

いずれにしても、

この「今、ここ、を生きる」という言葉、

そもそも不安におちりやすい正確を持つ人間の私にとって

とても大事なマントラ(スートラ?)となりそうです。

 

 

大切なことは、今、ここに、いつもありますからね。

Live "NOW" and "HERE".