私って、どんな人なんだろう?
母は『お前は一人で大丈夫』って言われて、父に浮気された。
私は、一人で大丈夫とか強いとか言われたくない!浮気されたくない!って思って育ったけど
結果、とてつもなく強くなった気が。。。。
浮気浮気浮気
大嫌いな浮気
私の大好きなパパを奪ったのは浮気だ!
小学生でそんなトラウマを抱えた私は、死ぬほど好きな人も見つけられないまま
ぜんぜん幸せでもないのに
私は今、凄く楽しい!って顔して生きてる
子供の頃
転校を2回した。1度目は両親が一緒に住む時。2度目は両親が別居した時。
そもそも、なぜ別れて暮らしていたのかを私は知らない。
春休みに決まった転校。3年生で初めてのクラス替えがあって、2年生のクラスはバラバラになっていたので、誰にも挨拶もしないまま、ただ母に手を引かれ名寄へ
変わりたかった。学校では大人しくて
『遊ぼう!』って言えなくて、体育館の入り口から遊んでるみんなを眺めてる子だった。
必死で挨拶の練習をした結果、何故か笑われた。でも、笑われたのと転校生だということで、友達がたくさんできた。
父が居て母が居る当たり前の暮らし
母は基本嘘つきだった。隠し事が好きだった。そのせいで父の職業は時々変わった。
本当の職業が言えなかったかららしい
母はヒステリー女でもあった。長い髪をいつもキッチキチに母に結んで貰ってたんだけど、ある日思い通りにならず、結んだままハサミで切られた事がある。
今なら虐待。とにかくいつもイライラしてる人だった。
ちょっと衝撃的な話をすると
引き出しを開けると注射器があるものだと思ってた。どこの家でもね
探すとあちこちから出てきた。針は無かったけど
夜は集まって、麻雀や花札。大騒ぎが楽しかった。たまに2階にたくさんの人が来たけど、その時は行っちゃダメだった。
朝が来て、行ってみると、自分で注射してる人が居て『痛くないの?』って聞くと『痛くないよ、してあげようか?』
さすがに注射は嫌いだったので走って逃げて母に言ったら
顔色変えて、父に何か怒鳴ってた。
お祭りは大好きだった。お金は要らなかった。お化け屋敷やバイクショーに入り放題。わたあめもお面も、欲しいものは何でも貰えた。そういう所だと思ってた。
父も大好きだった。
よく笑う人で、笑って歌って、声が大きくて、カッコ良くて、いつも優しかった。
母がヒステリー起こしても、いつもかばってくれた。
父のギターにはたまにお札が入ってて、母はよくギターを振ってたっけ。父の財布のように。
大好きな父は帰ってこなくなった。母は夜働きに出て、一晩2000円を稼いで来たけど、毎日借金取りが2000円集金に来た。
名寄には父の親戚しか居なかった。母は土下座してお金を貸してって頼んでたけど、何度目だったんだろう?その時は断られてた。
私を連れていったのは、最後の手段、同情を買うためだったんだろう。
たまに、チップが入るようで、それだけが生活費。
灯油が無いとか、お米が無いとかはよくあった。
その頃、母はよく部屋にこもってた。
今思うと泣いてたんだろう。
そして、2度目の転校が決まった。
旭川に旅立つ日
父が現れた。旭川から母の兄弟がやって来て、トラックに積んだ荷物を下ろして、行くなと言った。
決めては私だったろう。
『パパが悪いんでしょ。パパのせいでこうなったんでしょ。だから私はママと行くよ』
5年生の私は、私なりに悩んでた。
毎日、家に帰りたくなかった。
パパが帰ってきてくれる事を願った。
今更遅い。
大好きって感情を押し殺して、正しいと思う方へ付いていった。