Eternal MARIA -2ページ目

Eternal MARIA

チャイクレ×3、トイプー×2

スコ×2、キンカロー×1

そして人間×4。。。

毎日どこかで、誰かが戦っている…

我が家に平穏はやってくるのだろうか?

昨年11月22日に、大切な母が旅立った。

前日の夕方、玄関まで見送りにきた母に、

「また明日ね。戸締りしてね」

と言って別れたのが、最後になってしまった。

 

 

その日は、大好きなリハビリ施設に出かける日で、いつもであれば支度を整え玄関でお迎えを待っているはずだった。

それが、玄関には鍵がかかったまま。

送迎車の脇で困っている様子を見た叔母が、家を開けて中に入ると、母は既に亡くなっていた。

 

「最期まで家にいたい」

 

いつもそう言っていた母。

気丈に独り暮らしを続け、誰の世話にもならず、食事の支度も掃除も洗濯も、全部ひとりで頑張っていた。

本当に、最期まで家で、いつもと同じ日を過ごし、旅立っていった。

 

年齢なりに衰えていったとはいえ、病気ひとつなく、頭も耳も目もしっかりとしていたので、いつか別れがやってくるとは思っていても、その日が突然やってくるとは思いもしなかった。

何か患っていたとか、そういった事が少しでもあったのなら、諦めのようなものが出てくるかもしれないが、微塵もそんな事はなく、未だ気持ちの整理がつかない。

 

実家でマナを預かってもらっていた事もあり、毎日と言っていいほど終業後寄っていた。

仕事を持つわたしの為に、おかずを作って持たせてくれたり、頂き物や通販でわざわざ購入した物を、色々と持たせてくれたものだった。

わたしの事を彼是気遣ってくれる母はもういないのだと思うと、寂しくて切なくて、母親がいないって、こんなにも心細いものなのかと、初めて知った。

 

以前と変わらず日々実家に寄るが、母のいない真っ暗な家は寒々としていて、余計に心が沈む。

だからといって真っ直ぐ自宅に向かうこともできず、終日玄関を開けるひとがいなかったらと思うと(空き家なのだから当然といえば当然だが)、どんなに寂しかろうと寄らずに帰ることはできない。

 

父が入退院を繰り返すようになった頃から、運転のできない母の足となり、色々なところに出かけた。

そのうち母娘から友だちに近い関係になり、ショッピングにもよく行った。

生活圏のそこかしこに思い出があり、どこに行っても、母と交わした言葉や歩く姿が浮かんでくる。

母といる時は、妻や母ではなく、娘に戻れる有難い時間だった。

母が元気で実家にいてくれたからこそ、安心して、自由に過ごせたのだと、改めて思った。

 

 

毎日のように会いに行き、仕事を抜け通院の送迎をしたり、日用品の買い物に一緒に行ったりしていた事で、親孝行をしていたつもりでいた。

でも思い返すたびに、詰替え用を買った時なんでボトルに詰め替えてあげなかったんだろう、沢山購入した食料品をなんで冷蔵庫に入れてあげなかったんだろう、なんでなんで……、が沢山思い出され、後悔ばかりしている。

 

元気で生きていてくれればいい、一緒に過ごす毎日を大切にしよう。

そう思っていながら、結局は後悔が残ってしまった。

考えれば考えるほど後悔が残るから、考えないようにした方がいいと周りからも言われているが、何かにつけて思い出すので、中々難しいものがある。

 

一日が早く、あっという間に一週間が過ぎてしまうというのに、母に関してだけはまだ三か月しか経っていない、といった感じで、時間の感覚が全く違っている。

別れがあまりに急すぎて、どこにもいないという事が信じられずにいる。

 

 

 

 

 

 

 

昨日の明け方、母の夢を見た。

 

いつものように実家の玄関に入ると、少し先の茶の間から温かな灯りが見えた。

不思議に思い覗いてみると、春色の服を着た母が畳み物をしている。

「お母さん!!」

思わず声がでた。

慌ててブーツを脱ぎながら、

「待って、待ってて。行かないで、まだ行かないで、どこにも行かないで」

と呼びかけながら、傍まで駆け寄った。

「なんでいなくなったの? 急にいなくなるなんてヒドい」

母の手を握りながら、涙ながらに訴えた。

「どうして約束を破ったの?」

母は何も応えなかった。

ゆったりと穏やかな顔でわたしを見つめ、ただ手を握り返していた。

心情の違いなのか、わたしが入った玄関はコートを羽織る冬だったのに、母のいた茶の間は明るく暖かな色で満ちていた。

 

以前も夢の中で、突然いなくなった母を責めた事があった。

せっかく逢いにきてくれたのに、またしても母を責めてしまった。

目覚めたとき、逢えた嬉しさと責めた申し訳なさで、胸が苦しくなった。