滋賀の中学生自殺事件。
痛ましい事件であることは言うまでもないよね。
原因が学校でのイジメにあるということが報道でも言われている。
問題の中学校では生徒からアンケートをとって事の内容を把握しようとしているらしい。
イジメとの因果関係・・・こりゃ分からない部分が多い。
イジメという現象に関わる二者のうち一方の中学生が自殺してしまったから。
もうその子の声は聞けないからな。
それだけにやるせない。
僕、思うのね。
自殺の原因がイジメなのか?どーか・・・いや・・・イジメに限らずも生徒の間で起きている現象に対して先生や生徒の周りの人間はどんな関わり方をしていたのか?
僕は生き残っている教育関係者やイジメに関与したと言われている生徒を一方的に責めようとは思わない。
ただ、事実を明らかにすべきだと思う。
その上で詫びるべき事はキッチリと詫びるべき。
詫びたところで、先立った人は蘇らないんだけどね。
虚しいんだよ。
イジメがあったとか、なかったとか・・・どーでもいいんだよね。
たださ、誰も自殺を止められなかった事実は辛いよな。
中学校に限らず、みんなが生きているこの世界。
それぞれの世界があると思う。
職場、近所、学校、幼稚園、家庭・・・それぞれの世界があるよね。
世界の一部に何らかの形でみんな接点を持っているよね。
その接点でみんな自分なりに一生懸命生きているじゃない。
その接点が強けりゃ強いほど、その世界の存在って大きいよね。
その世界で自分の周りから嫌な扱いを受けたり、嫌な扱いはないけど、馴染めなかったりする場合もあるでしょ。
それこそ、その世界での立ち位置が見えなくなって、脱出したくなるかもしれない。
そういう時に周りの人・・・大人とか子供とか関係なく・・・誰か、誰でもいいけど嬉しい言葉をかける人がいてほしい、優しい言葉をかける人がいてほしい。
「お前はそういうところがいいよな。」
「君、可愛いじゃん。」
「おい、今日調子どうだ?」
なんでもいいんだけどさ・・・少しでも気持ちが安らぐっていうかさ。
荒んだ世界に小さな雑草が生える程度でもいいんだよ。
実は、大半の人が何気なく過ごしている世界で決して珍しいことじゃないんだよね。
みんな人との接点で生きているから、その接点に生きる力を見出すことって少なくない。
辛くても、小さな接点を頼りに生き抜けることもあると思う。
その接点の辛い部分と頼りの部分のバランスが取れないと・・・。
その世界に見切りをつけてしまうかもしれないな。
僕、偉そうなこと書けないね。
だけど、書く。
もし、この記事を読んでいる人でこの世界に疲れ果てて呆れ果ててどーしようもないと感じている人がいるなら・・・。
自殺はしないでください。
自殺はしちゃいけません。
自殺は・・・するな。
何も残らない。
それが現実。
もしかしたら「俺(私)が死んでも世の中は変わらない。俺(私)が消えるだけ・・・。」
とか思っているかもしれない。
それも、悲しいかな事実でしょう。
だからこそ、言いたい。
自殺しないことを選ぼうぜ。
保証はしないが、今よりマシな世界が将来あるかもしれない。
保証はしないが、あなたが必要とされる世界が来るかもしれない。
保証はしないが、幸せな将来があるかもしれない。
保証はしないが、少なくとも生きていて良かったと思える事があるかもしれない。
もう一度書くけど、僕は偉そうなことは書けない。
僕は僕自身のことしか解らない。
人のことは解らない。
生まれることは自分でコントロールできない。
超能力でもない限り、自分の意思で生まれてきた人っていないよね。
ところが死ぬことは自分でコントロールできる。
意外と人間って残酷にできてるんだよね。
別の見方すると生まれることの尊さを感じるんだよ。
せっかく生まれてきたんだ・・・自分で死ぬことを選ぶのは止めないか。
勇気がいるかもしれないけど、どーやって生き残ることができるか?選んでみないか。
カッコ悪くて、恥ずかしいかもしれないけど、生き残るために必死になってみないか。
一度生まれたからには、選ぶのは自分。
でも、生まれることだけは二度と選べない。
生きようよ。
偉そうなこと書いて、スンマセン。