安房鴨川から先は外房線に入る。
内房線と違って、外房線は基本的に内陸を走る路線である。安房鴨川を出発してしばらくは遠くに海が見え隠れするが、ほどなくして山間へと入る。
山を走る列車も迫力があって良いものだけれど、先ほどまで堪能していた海岸線の車窓と比べるとやはり見劣りする。次第にまぶたが重くなって、勝浦を過ぎたあたりで眠りだしてしまった。
ところで、外房線には行川アイランドという駅がある。
かつて同名のアミューズメント施設の最寄り駅として賑わったが、施設は10年前に閉園。現在も無人駅として営業しているが、山に囲まれた地形で周辺に集落もなく、一部で秘境駅に数えられるほどの転落ぶりを見せている。かように有名な駅であるため、わたしもこの駅を通ることを楽しみにしていた。
行川アイランドに到着すると、一人の女性が車輌に乗り込んできたのでわたしは意外に思った。秘境駅に挙げられるぐらいだから、利用する客なんていないだろうと思い込んでいたのだ。乗車した女性はTシャツ短パンという服装で荷物も少なかったから、観光客ではなく地元の住民と見受けられた。
考えてみれば当たり前のことで、利用する人がいなければ行川アイランドが駅として存続しているわけがない。鉄道マニアたちが秘境駅と言ってはやし立て祭り上げるような駅も、そこに住む人々にとってみれば大切な交通機関としてしっかり機能しているのだ。そう思うと、物見遊山の気持ちでこの駅を訪れた自分が途端に恥ずかしくなった。
勝浦で睡魔に襲われたわたしが、次に目を覚ましたときはもう茂原にいた。日は既にだいぶ傾いている。
茂原市は天然ガスの生産等で知られる工業都市。その玄関口である茂原の駅周辺はなかなか栄えているようで、ビルや商業施設が立ち並んでいる。乗客も段々と増えてきた。
茂原を過ぎれば、東京への通勤圏内に入る。車窓からの眺めも南房総の険しい山地から一転して、田畑や宅地が殆どをしめるようになる。退屈な眺めだが、次の乗換駅である大網まではもう少しなのでここで眠りに落ちるわけにはいかない。
大網に着く。
ここで東金線に乗り換えるのだが、接続が悪く多少時間が空くため駅前に出てみることにした。
大網まで来るともう立派なベッドタウン地帯であり、駅周辺も賑やかなものである。駅前ロータリーの喫煙所で煙草を取り出す。ふと見上げると、目の前の土手の上に東金線の成東行が発車を待つ姿があった。かつてスイッチバック駅であった関係で、東金線のホームは少しはずれた場所にあるのだ。強い西日に射されてもなお凛々しい顔立ちを崩さず土手に佇んでいる209系は、実に頼もしく見える。
東金線は外房線の大網から総武本線の成東を結ぶ13.8km足らずの路線で、途中駅も3つしかない。車窓から見えるのは殆ど農地ばかり。はっきり言って、地味な線区である。
しかし、地味と言うよりも生活感があると言った方がわたしの受けた印象には近いかもしれない。もう日が暮れようかと言う時間、車内は家路に着く人々で溢れている。ある者は座りある者は立つ。ある者は一人で本を読んでいたり、またある者は集団でがやがや騒ぎどおしだったりする。それぞれの一日を終えたいくつもの体たちを、東金線は夕陽を受けながら黙々と運んでいるのだ。なんとも男らしい姿だなと思った。
やはり鉄道は人に利用されているところが一番生き生きとして見える。
ほどなく成東に着く。ここからは、総武線・中央線を乗り継いで家に帰るだけだ。
総武本線の電車を30分ほど待っている間に辺りはすっかり暗くなった。
8鉄道に乗るために出かけるのはわたしの趣味であり自ら好んでやっていることだが、一方でできるだけ疲れることはしたくないという気持ちもある。前回出かけた飯田線の旅がかなりの強行軍でありへとへとになったため、今度はなるべく近場で済ませようと思った。そこで、近場ながらもと言うべきかだからこそと言うべきか、未乗区間の多く残っている房総半島を次の行き先として選んだ。
8月18日、国分寺駅午前6時。中央線・総武線を乗り継いで千葉へ向かう。前回と異なり、今回は上り列車のため車内にはそれなりの乗客がいる。通勤通学客の青い顔が、旅立ちの清々しい気分に水を差す。お茶の水で総武線各駅停車に乗り換えたあとは座席に座ってひたすら眠っていた。
千葉から内房線で木更津へ出る。ここからまずはじめに久留里線を乗り潰す。
久留里線は木更津から上総亀山までを結ぶ32.2kmの盲腸線で、東京近郊の路線では珍しく非電化ということもあり、手軽にローカル線の雰囲気を味わえる路線として有名である。またあまり誉められたことではないが、春先のストライキで毎年のように列車が運休することでも知られている。
4番線に停車しているキハ37型に乗り込む。残念なことにロングシートの車輌だが、一端に1つだけボックスシートが備わっている。運良くそこに座ることが出来た。窓のブラインドを上げ、駅で買ったおにぎりを食べていると、ブルンブルンと唸って車輌がゆっくり動き出す。
久留里線には、実は2年前の2009年夏にも訪れたことがある。木更津方から全線完乗・全駅下車をしようとダイヤを組んで行ったのだが、途中の俵田~久留里の辺りでひどい夕立に襲われてしまい、雨が上がった後も線路点検に時間がかかるとのことで電車が動かず、立ち往生してしまった。結局、たまたま車で通りがかった地元の家族連れに木更津まで乗せてもらえたことでどうにか帰ることはできたのだけれども、とにかくその時はなんとも中途半端な形で久留里線を後にしたのだった。
そういうわけで、今日は2年越しの久留里線全線完乗を果たしに来たのであり、否応なしに胸は高鳴る。
久留里線の車窓は、久留里駅を境に大きく様相を異にする。木更津~久留里までは、のどかな田園地帯をのんびりと走り抜けていく。2年前に訪れた駅を次々と通り過ぎていき、懐かしい気持ちになる。
久留里を過ぎると、いよいよ未乗区間に入る。ここから列車は山間に突入していき、景色も崖ありトンネルありの起伏に富んだものへと変化する。平山、上総松丘を過ぎれば、終点の上総亀山へと到着する。
上総亀山は、ローカル線の終着駅らしく何もない駅だった。ここから折り返して木更津へ戻るのだが、荷物を持って一旦列車を降り、写真を撮ったり煙草を吸ったりしてから戻ると、先ほどのボックスシートは既に別の乗客によって占拠されていた。しかたなく、帰りの間は先頭車輌でかぶりついて過ごした。
木更津からは内房線と外房線を乗り継いで、房総半島を反時計回りに一周することにする。
木更津の次の君津駅を過ぎると、内房線は単線区間に入り、運行本数も少なくなる。乗り応えのある区間というわけだ。
進行方向右側の窓に張り付いていると、上総湊を過ぎた辺りでようやく東京湾が姿を見せる。ここからしばらくは海岸線に沿って走っていくため、眺めの良い区間となる。今日は天気も良いからなおさらだ。
勿論、眺めが良いからという理由でこの場所に線路を敷いたわけではない。房総丘陵が海岸線のすぐそばまで迫ってきており、海っぺりの平地ぐらいしか線路を敷くことができなかったのである。その代わり、強風などの気象条件に弱いという欠点が生まれた。
再び海岸線から離れ、館山の手前にある那古船形で途中下車した。なんということはない小駅だが、ここはAKB48のメジャーデビューシングル『会いたかった』のPV撮影に使われたことでファンにはおなじみの場所となっている。
早速駅から出てみると、駅舎は白と水色を基調としたデザインに塗装し直されており、PV撮影時の古びた趣は残っていなかった。多少がっかりはしたが、何枚かの写真を撮ってホームへ戻る。ここから6駅引き返し、竹岡という駅で途中下車するため、千葉方面行きの列車を待った。
やってきたのは209系の電車であった。先ほど乗ってきた電車も209系であり、私はここでもいささかがっかりした。何故かと言えば、『会いたかった』のPVに登場したのが113系電車の横須賀色だったためで、是非この駅で113系を見てみたいと思っていたのだ。しかし113系は新型車輌209系への置き換えが着々と進んでおり、事実この訪問の直後の9月1日には全ての営業運転を終了してしまった。那古船形で113系に会うことは、もう二度と叶わなくなってしまったわけである。
内房線を千葉方面へ引き返し、竹岡で降りる。なにもない地味な駅だが、内房線の海岸線沿いで最もさびれた駅ではないかと辺りをつけ、途中下車駅にここを選んだ。
駅を出て3分ほど歩くと、間もなく海岸に出る。海沿いの国道127号に沿ってしばらく歩いてみたが、海水浴場までは距離があるようで、照りつける日差しに嫌気がさしてほどなく引き返した。
夏休みだというのに、観光客らしき顔は殆ど見かけなかった。道中、やる気の無さそうな土産物屋が1軒だけあった。
竹岡から再び内房線に乗り、終点の安房鴨川を目指す。
先ほど降りた那古船形を過ぎて館山を出ると、南へ伸びていた線路は90度左へ折れ曲がり、東へ向かう。ここから房総半島南端を突っ切って外房へと出るのである。
千倉から安房鴨川までは特急の乗り入れがない純然たるローカル線区間となる。外房の海が顔を出したり引っ込めたりで、なかなかもどかしい。目を皿にして窓の外を睨んでいるうち、終点の安房鴨川に着く。
(続)
8月18日、国分寺駅午前6時。中央線・総武線を乗り継いで千葉へ向かう。前回と異なり、今回は上り列車のため車内にはそれなりの乗客がいる。通勤通学客の青い顔が、旅立ちの清々しい気分に水を差す。お茶の水で総武線各駅停車に乗り換えたあとは座席に座ってひたすら眠っていた。
千葉から内房線で木更津へ出る。ここからまずはじめに久留里線を乗り潰す。
久留里線は木更津から上総亀山までを結ぶ32.2kmの盲腸線で、東京近郊の路線では珍しく非電化ということもあり、手軽にローカル線の雰囲気を味わえる路線として有名である。またあまり誉められたことではないが、春先のストライキで毎年のように列車が運休することでも知られている。
4番線に停車しているキハ37型に乗り込む。残念なことにロングシートの車輌だが、一端に1つだけボックスシートが備わっている。運良くそこに座ることが出来た。窓のブラインドを上げ、駅で買ったおにぎりを食べていると、ブルンブルンと唸って車輌がゆっくり動き出す。
久留里線には、実は2年前の2009年夏にも訪れたことがある。木更津方から全線完乗・全駅下車をしようとダイヤを組んで行ったのだが、途中の俵田~久留里の辺りでひどい夕立に襲われてしまい、雨が上がった後も線路点検に時間がかかるとのことで電車が動かず、立ち往生してしまった。結局、たまたま車で通りがかった地元の家族連れに木更津まで乗せてもらえたことでどうにか帰ることはできたのだけれども、とにかくその時はなんとも中途半端な形で久留里線を後にしたのだった。
そういうわけで、今日は2年越しの久留里線全線完乗を果たしに来たのであり、否応なしに胸は高鳴る。
久留里線の車窓は、久留里駅を境に大きく様相を異にする。木更津~久留里までは、のどかな田園地帯をのんびりと走り抜けていく。2年前に訪れた駅を次々と通り過ぎていき、懐かしい気持ちになる。
久留里を過ぎると、いよいよ未乗区間に入る。ここから列車は山間に突入していき、景色も崖ありトンネルありの起伏に富んだものへと変化する。平山、上総松丘を過ぎれば、終点の上総亀山へと到着する。
上総亀山は、ローカル線の終着駅らしく何もない駅だった。ここから折り返して木更津へ戻るのだが、荷物を持って一旦列車を降り、写真を撮ったり煙草を吸ったりしてから戻ると、先ほどのボックスシートは既に別の乗客によって占拠されていた。しかたなく、帰りの間は先頭車輌でかぶりついて過ごした。
木更津からは内房線と外房線を乗り継いで、房総半島を反時計回りに一周することにする。
木更津の次の君津駅を過ぎると、内房線は単線区間に入り、運行本数も少なくなる。乗り応えのある区間というわけだ。
進行方向右側の窓に張り付いていると、上総湊を過ぎた辺りでようやく東京湾が姿を見せる。ここからしばらくは海岸線に沿って走っていくため、眺めの良い区間となる。今日は天気も良いからなおさらだ。
勿論、眺めが良いからという理由でこの場所に線路を敷いたわけではない。房総丘陵が海岸線のすぐそばまで迫ってきており、海っぺりの平地ぐらいしか線路を敷くことができなかったのである。その代わり、強風などの気象条件に弱いという欠点が生まれた。
再び海岸線から離れ、館山の手前にある那古船形で途中下車した。なんということはない小駅だが、ここはAKB48のメジャーデビューシングル『会いたかった』のPV撮影に使われたことでファンにはおなじみの場所となっている。
早速駅から出てみると、駅舎は白と水色を基調としたデザインに塗装し直されており、PV撮影時の古びた趣は残っていなかった。多少がっかりはしたが、何枚かの写真を撮ってホームへ戻る。ここから6駅引き返し、竹岡という駅で途中下車するため、千葉方面行きの列車を待った。
やってきたのは209系の電車であった。先ほど乗ってきた電車も209系であり、私はここでもいささかがっかりした。何故かと言えば、『会いたかった』のPVに登場したのが113系電車の横須賀色だったためで、是非この駅で113系を見てみたいと思っていたのだ。しかし113系は新型車輌209系への置き換えが着々と進んでおり、事実この訪問の直後の9月1日には全ての営業運転を終了してしまった。那古船形で113系に会うことは、もう二度と叶わなくなってしまったわけである。
内房線を千葉方面へ引き返し、竹岡で降りる。なにもない地味な駅だが、内房線の海岸線沿いで最もさびれた駅ではないかと辺りをつけ、途中下車駅にここを選んだ。
駅を出て3分ほど歩くと、間もなく海岸に出る。海沿いの国道127号に沿ってしばらく歩いてみたが、海水浴場までは距離があるようで、照りつける日差しに嫌気がさしてほどなく引き返した。
夏休みだというのに、観光客らしき顔は殆ど見かけなかった。道中、やる気の無さそうな土産物屋が1軒だけあった。
竹岡から再び内房線に乗り、終点の安房鴨川を目指す。
先ほど降りた那古船形を過ぎて館山を出ると、南へ伸びていた線路は90度左へ折れ曲がり、東へ向かう。ここから房総半島南端を突っ切って外房へと出るのである。
千倉から安房鴨川までは特急の乗り入れがない純然たるローカル線区間となる。外房の海が顔を出したり引っ込めたりで、なかなかもどかしい。目を皿にして窓の外を睨んでいるうち、終点の安房鴨川に着く。
(続)
この夏、青春18きっぷで幾つかの路線を乗り潰す旅をした。
その時のことを、思い出せる範囲で書き残しておこうかと思う。
初めに訪れたのは7月31日、飯田線であった。
飯田線は長野県辰野駅と愛知県豊橋駅とを結ぶローカル線であり、営業キロは195.7km、全線を乗り通すだけでも約6時間もかかる長大な路線である。
元は4つの私鉄によって運営されていた路線が戦時国有化されたという経緯があり、特に旧三信鉄道区間(三河川合駅~天竜峡駅)は非常な難工事の末に山間部に開通した区間のため、所謂「秘境駅」の宝庫として知られている。
早朝国分寺駅から中央線の下り列車に乗り込み、辰野方面を目指す。
私は高校時代の3年間、中央線の上り列車を通学の足として利用してきた。そのため、同じ早朝に逆方面へ向かう列車へ乗りこむと、いかにも「これから旅へ出るぞ」という気分が高揚してくる。
通勤通学路線としての印象が強い中央本線だが、その大部分は山岳地帯を走っており、高尾を過ぎると途端に山間へと入っていく。その後線路はいくつもの勾配を上っては下り、大小様々のトンネルを潜っては抜け、ひたすら西へと伸びていく。車窓に広がる深い霧に包まれた山々を、まどろみながら眺める。まだ国分寺を発ってから1時間足らずとは思えない、見事な景色だった。
大月と甲府でそれぞれ列車を乗り継ぎ、上諏訪で下車した。
上諏訪から9時19分発の豊橋行きの上り列車へ乗車する。上諏訪を出発して岡谷から中央本線辰野支線へ入り、その後辰野から飯田線全線を走破する編成であるが、わたしはこの列車に乗り通すことはせず、途中為栗と田本の二駅で途中下車する予定である。
辰野の駅を出発した時、いよいよ「秘境駅の宝庫」へと突入するのか・・・と身構えたが、辰野からしばらくはのどかな田園地帯を走ったためいささか拍子抜けした。しかし天気が良いため見晴らしがよく、また線路にカーブが多いこともあり、外を眺めていて飽きが来ない。青々とした水田が美しい。
飯田線の特徴として、駅の数が非常に多い。前述の通り飯田線は元が私鉄のため、線路を敷く際に顧客である地元住民の意向に縛られるという事情があった。そのため、線路はうねうねと曲がりくねり、あちこちに駅が置かれている。
駅を出ると加速するまもなく次の駅へ到着する。列車は、のんびりと進んで行く。
飯田駅を過ぎるころにはもうとっくに正午を回っていた。日差しが弱まり、段々と雲行きが怪しくなってきている。
天竜峡から旧三信鉄道の区間に入ると途端に沿線が険しくなり、天竜川の峡谷を縫って進むようになる。いよいよここからが秘境駅地帯である。うっそうと生い茂る木々にただでさえ弱々しい日光が遮られ、非常に薄暗い。しかも前日に降った大雨の影響で、列車は徐行運転をしている。それほど危なっかしい区間ということであり、雰囲気は抜群である。
最初の下車駅である為栗に着くと小雨が降りだしていた。為栗は山間の小駅であり、駅には鉄道ファンと思しき男性がいるだけであった。秘境とは言えないまでも物寂しい雰囲気を味わいながら煙草をふかし、今度は反対方面へ向かう下り列車を待つ。いったん引き返す形で、次の下車駅である田本へ向かう。
ほどなくして下り列車が到着し、二駅引き返して田本で下車する。
先ほどの為栗とは異なり、田本は駅周辺に人家など見えない正真正銘の秘境駅である。ホーム背後にはコンクリートに覆われた断崖絶壁、眼下には天竜川、左右はトンネルで挟まれているというとんでもないロケーションにあり、駅から出るためには未舗装の山道を20分も上っていかなければならない。一体誰が利用するんだと言いたくなるような、秘境駅のお手本のような駅と言える。従ってその筋では相当有名であり、わたしの他にも何名かこの駅で下車する乗客がいた。
せっかくなので駅から出るための山道を登ってみようかと歩き出したが、先ほどからの小雨で足元が滑り、思うように歩けない。その上前日の大雨のせいか、そこかしこに倒木がある。路がふさがれてはいなかったものの、Tシャツにスニーカーという軽装備で歩くことには流石に身の危険を感じ、早々と引き返した。
ホームに戻り、1時間ほどぽつねんと上り列車を待つ。次の列車にのれば、後は豊橋までひたすら乗り潰すだけだ。
到着した上り列車に乗り込むと、車内は団体客と思しき年寄りの集団でごった返していた。座席は全て埋まっており、通路に立つ乗客も少なくない。いったいどうしたことかと不思議に思っていると、先ほど下車した為栗で年寄りの集団は全員どやどやと降りて行った。
後々調べたところ、ローカル線体験ツアーの一環として、飯田線の天竜峡~為栗がルートに組み込まれるケースが増えているらしい。団体がいなくなった車内は途端に閑散としだし、まるで嵐の過ぎ去ったようであった。
水窪を過ぎると秘境駅地帯も終わりを告げる。本長篠を過ぎたあたりからは沿線に宅地も増えだし、山岳路線の面影は消えて豊橋の近郊路線といった趣に変わってきた。長大な路線を有するだけあって、飯田線は区間によって様々な表情を見せる。いつの間にか天気も回復し、すっかり傾いた西日か車内に差し込む。各駅で、部活帰りと思しき地元の中高生が少しずつ乗りこんでくる。
豊橋に着いたのは18時23分。9時間にも及ぶ飯田線の長旅は終わった。
その後は日帰りの強行スケジュールを組んでいたため、東海道線をひたすら乗り継いで東京へと帰った。地元にころには日付も変わり、さすがにくたくたになった。こんなことならば名古屋あたりで一泊し、サンシャイン栄劇場を見学してから中央線を全線走破して帰ってくればよかったかな、とも思う。
その時のことを、思い出せる範囲で書き残しておこうかと思う。
初めに訪れたのは7月31日、飯田線であった。
飯田線は長野県辰野駅と愛知県豊橋駅とを結ぶローカル線であり、営業キロは195.7km、全線を乗り通すだけでも約6時間もかかる長大な路線である。
元は4つの私鉄によって運営されていた路線が戦時国有化されたという経緯があり、特に旧三信鉄道区間(三河川合駅~天竜峡駅)は非常な難工事の末に山間部に開通した区間のため、所謂「秘境駅」の宝庫として知られている。
早朝国分寺駅から中央線の下り列車に乗り込み、辰野方面を目指す。
私は高校時代の3年間、中央線の上り列車を通学の足として利用してきた。そのため、同じ早朝に逆方面へ向かう列車へ乗りこむと、いかにも「これから旅へ出るぞ」という気分が高揚してくる。
通勤通学路線としての印象が強い中央本線だが、その大部分は山岳地帯を走っており、高尾を過ぎると途端に山間へと入っていく。その後線路はいくつもの勾配を上っては下り、大小様々のトンネルを潜っては抜け、ひたすら西へと伸びていく。車窓に広がる深い霧に包まれた山々を、まどろみながら眺める。まだ国分寺を発ってから1時間足らずとは思えない、見事な景色だった。
大月と甲府でそれぞれ列車を乗り継ぎ、上諏訪で下車した。
上諏訪から9時19分発の豊橋行きの上り列車へ乗車する。上諏訪を出発して岡谷から中央本線辰野支線へ入り、その後辰野から飯田線全線を走破する編成であるが、わたしはこの列車に乗り通すことはせず、途中為栗と田本の二駅で途中下車する予定である。
辰野の駅を出発した時、いよいよ「秘境駅の宝庫」へと突入するのか・・・と身構えたが、辰野からしばらくはのどかな田園地帯を走ったためいささか拍子抜けした。しかし天気が良いため見晴らしがよく、また線路にカーブが多いこともあり、外を眺めていて飽きが来ない。青々とした水田が美しい。
飯田線の特徴として、駅の数が非常に多い。前述の通り飯田線は元が私鉄のため、線路を敷く際に顧客である地元住民の意向に縛られるという事情があった。そのため、線路はうねうねと曲がりくねり、あちこちに駅が置かれている。
駅を出ると加速するまもなく次の駅へ到着する。列車は、のんびりと進んで行く。
飯田駅を過ぎるころにはもうとっくに正午を回っていた。日差しが弱まり、段々と雲行きが怪しくなってきている。
天竜峡から旧三信鉄道の区間に入ると途端に沿線が険しくなり、天竜川の峡谷を縫って進むようになる。いよいよここからが秘境駅地帯である。うっそうと生い茂る木々にただでさえ弱々しい日光が遮られ、非常に薄暗い。しかも前日に降った大雨の影響で、列車は徐行運転をしている。それほど危なっかしい区間ということであり、雰囲気は抜群である。
最初の下車駅である為栗に着くと小雨が降りだしていた。為栗は山間の小駅であり、駅には鉄道ファンと思しき男性がいるだけであった。秘境とは言えないまでも物寂しい雰囲気を味わいながら煙草をふかし、今度は反対方面へ向かう下り列車を待つ。いったん引き返す形で、次の下車駅である田本へ向かう。
ほどなくして下り列車が到着し、二駅引き返して田本で下車する。
先ほどの為栗とは異なり、田本は駅周辺に人家など見えない正真正銘の秘境駅である。ホーム背後にはコンクリートに覆われた断崖絶壁、眼下には天竜川、左右はトンネルで挟まれているというとんでもないロケーションにあり、駅から出るためには未舗装の山道を20分も上っていかなければならない。一体誰が利用するんだと言いたくなるような、秘境駅のお手本のような駅と言える。従ってその筋では相当有名であり、わたしの他にも何名かこの駅で下車する乗客がいた。
せっかくなので駅から出るための山道を登ってみようかと歩き出したが、先ほどからの小雨で足元が滑り、思うように歩けない。その上前日の大雨のせいか、そこかしこに倒木がある。路がふさがれてはいなかったものの、Tシャツにスニーカーという軽装備で歩くことには流石に身の危険を感じ、早々と引き返した。
ホームに戻り、1時間ほどぽつねんと上り列車を待つ。次の列車にのれば、後は豊橋までひたすら乗り潰すだけだ。
到着した上り列車に乗り込むと、車内は団体客と思しき年寄りの集団でごった返していた。座席は全て埋まっており、通路に立つ乗客も少なくない。いったいどうしたことかと不思議に思っていると、先ほど下車した為栗で年寄りの集団は全員どやどやと降りて行った。
後々調べたところ、ローカル線体験ツアーの一環として、飯田線の天竜峡~為栗がルートに組み込まれるケースが増えているらしい。団体がいなくなった車内は途端に閑散としだし、まるで嵐の過ぎ去ったようであった。
水窪を過ぎると秘境駅地帯も終わりを告げる。本長篠を過ぎたあたりからは沿線に宅地も増えだし、山岳路線の面影は消えて豊橋の近郊路線といった趣に変わってきた。長大な路線を有するだけあって、飯田線は区間によって様々な表情を見せる。いつの間にか天気も回復し、すっかり傾いた西日か車内に差し込む。各駅で、部活帰りと思しき地元の中高生が少しずつ乗りこんでくる。
豊橋に着いたのは18時23分。9時間にも及ぶ飯田線の長旅は終わった。
その後は日帰りの強行スケジュールを組んでいたため、東海道線をひたすら乗り継いで東京へと帰った。地元にころには日付も変わり、さすがにくたくたになった。こんなことならば名古屋あたりで一泊し、サンシャイン栄劇場を見学してから中央線を全線走破して帰ってくればよかったかな、とも思う。
