せっかくブログをやっているものですから、親父のことを記しておこうと思います。
最近の親父はというと、
すくすくと衰えをみせております。
ひと月ほど前から、立ち上がることもできなくなり、家の中でも車椅子で生活してます。
あ、入院はしてないんです。
在宅での訪問診療や看護を受けており、最後まで入院はせずに自宅で最後を迎える予定です。
コロナ渦の現在だと面会にも制限があるし、延命目的の治療はしない方針だし、なにより本人の希望ですので。
そして本日、仕事中におかんから電話があり、
「今朝がた、昏睡状態になった」
とのこと。
え? いきなりすぎん?
先週会いに行った時は、まだまだ会話もでき、息子の小さい頃のビデオをみせたり、昔の思い出話なんかもしてたのに...
ぼくが22、3歳の頃で、東京に家族で住んでた頃の話。
社会人として初めて勤めてた会社を辞め、ぐうたらしてた頃、
「那須塩原の温泉(栃木県)に、オマエのバイクで連れてってくれ」
と言われ、まあ暇だからええか、と400ccのバイクに2ケツで行ったことがあります。
親父とはじめての2人旅行。
夏でした。
青すぎる空。生ぬるい風。どこまでもまっすぐな田舎道。背中にしがみつくオヤジ。
あー、これが可愛いカノジョとだったらなぁ...
山道のワインディングに入ると、
「ちょ、危ないからそんなに倒すな!」
と、文句を言い出すビビりなオヤジ。
ちっ、うぜぇなー...
着いた宿は、親父の勤めてる会社の保養施設。
まあまあボロい。
温泉つかって、たいして美味くもない飯を黙々と食って、
「ホレ」
とか言ってビールをついでくれたっけ。
2日目は太平洋側へ進み、茨城県の大洗へ。
まだ日が高いうちに宿(当然ながら保養所)に着いたので、1人で近くの海水浴場におねーちゃんの水着姿を眺めにいくことに。
「ぜってーくんなよ!」
と、念をおして親父は置いてきたのに、しばらくして浜辺で寝てたら
「オーイ」
と手をふりながら来やがった!
なにが悲しゅうてオヤジと2人で海水浴せなあかんねん!
その夜もただ腹を満たすだけの食物を黙々とたべ、早めに床につく。
「クーラー、イヤやから」
と、たいがい昔の親は言いますよね。
ハイハイわかりました、と窓全開で眠りにつくも、夜中に前の国道をワンワンゆうて族が走りまわる始末。
完全に寝不足で、ふらふら運転で帰り、なんとかミッションクリアした記憶があります。
その話をすると、
「うーん、行ったような行ってないよーな...」
覚えてへんのかーい!
まあ、だいぶ痴呆もきてるので仕方ないか。
まあ、毎週昔話を聞かせてやればちったあ痴呆を食い止めれるかも...
次は、ぼくが拾ってきた雑種のバカ犬の話をしてやろう。一番親父になついてたしな。
なんて思ってたのがつい先週のことです。
今、ぼくは実家に泊まってます。
下の階で親父とおふくろが寝ています。
昼間に来ていただいた先生の話だと、昏睡レベル(?)が300とかで、脳死に近いぐらいの深い昏睡状態らしいです。
なのでこのまま目覚めることなく、逝くのでしょう。
仕事を早退して直接実家に来たぼくは、いったん帰って嫁と息子を迎えにいき、3人で再び来ました。
普段からあまり感情を表に出さない息子がぐしゃぐしゃに泣きました。
5月に余命半年宣告を受けてから、ちょうど半年。
時間にはキッチリしてた人だったけど、そこまでキッチリ守らんでもええやろー
桜の頃までは、いや、少なくとも正月まではまだ生きれると思ってたのに...
でも、今までほとんど痛みも苦しみもせず、痴呆のせいもあって、自分が末期がんということもピンときてない感じで、死に対して怖がることもなく、晩年は本当に穏やかな日々を送ってました。
それもひとえに、入院させずに家ですべての世話をしてきたおふくろのおかげであります。
すごい人です。ぼくの誇りに思える母です。
親父、幸せだったね! こんなおふくろと最後まで寄り添ってもらえて!
おふくろのことはぼくにまかせてくれ。
親父ともおふくろとも、なんべんも喧嘩したし、お互いに苦労かけあったりもしたけど、
いつまでも大好きです。
追記。
11月22日 午前8:40
永眠につきました。
あっというまでした。
「もう、いいから。それじゃね」
とでもいうように。
直接の死因は脳出血でした。
昏睡状態のまま逝ったので、苦しまずに逝ったんだと思います。
いまわのきわも看取れたし、最後の身繕いのお手伝いも出来たし、ぼくが髭剃りしてあげました。
思い残すことは、ないです。
最良の形、ってゆうのがあるのか分かりませんが、それに近い最後だったと思います。
父上、あの世でもお元気で😉