車を手放した話
車を手放した。つい先日のことだ。
手放したのはこの10年以上、週末のドライブ専用に乗っていた趣味車だ。私は整備・改造を繰り返しながらこれに乗り続け、天気のいいヒマな週末はその車で走りに出かける事が多かった。この10年、そのようなパターンで生活していて倦むという事が無かった。異変が起きたのは昨年のある夏の日のことだ。
その日は平日に休みを取って早朝から箱根に出かけた。平日の箱根は道が嘘のように空いている。 空は青く、空気は爽やかで風景は美しく、そして人影はまばらだった。気分爽快とはこういう日のためにある言葉ではないかと思った程だ。車は快調で何の問題も無かった。一日中そのようにして楽しく箱根近辺を楽しく走り回るうちにやがて日が暮れて来た。
「そろそろ帰るか」
私は充実した気分で東名高速に乗って名古屋に向かった。名古屋に着いた時間は深夜に近かった。そして車を停めてエンジンを切った直後。
「もう充分だな。この車に乗るのはこれでおしまいだ」
突然そういう感情に襲われた。つい数時間前まではそんな事を考えもしなかったのに、突然「もういいや」と感じたのである。以来、全くその車に乗らなくなった。
ひとつには年齢的な事があると思う。私は10年に亘ってこの車の改造を繰り返して来た。アメリカ本国で売っている改造パーツのめぼしいものは大体装着した。 エンジンもアメリカのショップから大馬力のやつを個人輸入して交換した。オリジナルでロールバーを取り付けたり、フレームのあちこちを溶接で強化したり、シートを交換したりしている。その結果この車は、エンジンがうるさく、振動が激しく、神経質なハンドリングで、おまけに乗り心地は最悪、というものになった。
恐らく年齢的にそういう乗り物に耐えられなくなったのではないか。体力が落ちたのである。そういえば昨年あたりは一日に500kmも走ると疲労を覚えるようになっていた。そういう疲労感のようなものが無意識のうちに蓄積していて、あの夏の日、突然「もうこの車はいいや」という感情が発現したのではないかと思う。
「なんだか最近あの車に全然乗らなくなったんだよね。多分もう乗らないと思う」
行きつけのショップでそのような話をしていたら顔見知りの青年が「じゃあスコットさん、あの車、僕に譲って貰えませんか?前からスコットさんの車、いいなと思ってたんです」という。
興味深い申し出だと思った。あの車は日常生活には全く役に立たない。人間は二人しか乗れないし、荷物も積めないので買い物には使えない。燃費も良好とは言いがたい。そんな時代に逆行した車の買い手が簡単に現れるとは思えない。だから「欲しい」という人に乗ってもらうのはいい事のように思えた。
「じゃあまず試乗して車の状態を確かめてみてください」
後日、彼に試乗してもらったところ彼の印象は上々のようだった。
「素晴らしいです。パワーもあるしエンジン音がしびれますね。それに思ったより乗り心地もいいです」
その青年は親兄弟全員が車好きという一家の出である。そのせいか私の車を見ても異常な車だとは感じないようだった。また私の車の改造箇所についても的確な理解力を示していた。この青年ならこの車を大切にしてく れるだろう。
「じゃあどうぞ乗って下さい」
かくして合意は成立した。
余談だが彼に試乗してもらうとき私は助手席に乗った。自分の車の助手席に乗るのは初めてだったが意外な事に非常に恐怖感を覚えた。音や振動、加速するときの感覚がとても恐ろしかっ た。スピードが出過ぎている、という感覚が拭えない。信号発進のたびに「もう少しゆっくりスタートしてくれないかな」と感じた。そして前方の信号が赤になる度に「止まれるのかな?」と不安を感じるのである。何だかものすごく危険な乗り物に思えた。
「こんな車だったんだ、こいつは」
運転席と助手席でこんなに感覚が違うとは思わなかった。私はこの車の運転席に慣れ切ってしまっていたのでフル加速しようがフルブレーキングをしようが何とも思わなくなっていたが、あらためて助手席に乗ってみると随分ドラマチックな車だという事がわかった。
感心しているうちに段々助手席に慣れて来た。すると今度はこの車であちこち走り回って随分楽しい思いをしたことが思い出されて来た。朝起きたら天気がいい、 というだけの理由で車に乗り込んで、特に目的地も決めずにそのまま長距離ツーリングに出かける事が多かった。そのまま1日に1,000km近く走る事もあったが全然つらいとは思わなかった。
「ホント、乗ってて楽しい車だったよなあ」
手放してしまうと後悔するのではないか、という気もしたがもう決めた事だ。前言を撤回することは出来ない。私はその気持ちに蓋をした。
そして数週間後、名義変更が終わった車を青年に受け渡す日がやって来た。青年はその車に乗り込みエンジンをスタートさせた。エンジンの音が実にいい。
「それじゃ!」
満面の笑みを浮かべた青年は手を振ると轟音を立てて車とともに走り去った。私は車が小さくなって見えなくなるまで見送った。見送りながら少し呆然とするところがあった。今、目の前から去って行ったのは車ではなく私の若さだったのではないかという気がしたからだ。
赤い車が去ったのに合わせて青い車が手元にやってきた。今度の車は落ち着いた色をしているせいか、前に乗っていた車に比べると格段に大人の乗る車、という風情がある。二人乗りで荷物が積めないのは相変わらずだが週末ドライブ専用なのでそれは別に構わない。スタイルもおどろおどろしくないので無理なく街の風景に溶け込んでいるように思う。
だが実はこの車、6速マニュアルミッションという時代錯誤な車だ。とは言え、ものは考えようだ。クラッチペダルを踏んだり手動でシフト操作をする事によって、ひょっとすると脳が刺激されてボケ防止に役立つかも知れない。まあ文句を言わずにしばらく乗ってみるとしよう。
記憶に残る最低のクリスマス・イブ
今年のクリスマス・イブは平穏無事だった。20代の頃、クリスマス・イブは特別な日だという認識があった。だが年齢を加えるに従ってそれも段々普通の日になって来た。個人的には結構な事だと思っている。
だが20代の頃はそうはいかなかった。大体においてクリスマスはトラブルの多い時期だった。クリスマスにはロクな思い出が無い。その中でも最悪のクリスマス・イブは20代後半の頃のものだ。
その年の12月24日の夜、私は会社で仕事をしていた。会社で仕事をしていればクリスマスイブに起こりがちなトラブルに巻き込まれなくて済むと思ったのだ。
すると電話が鳴った。カナちゃん(仮名)だった。カナちゃんというのは先年、若くして癌で亡くなった友人、シュウちゃんの当時の恋人だ。カナちゃんとはその前の晩に会ったばかりだった。その時に、
「スコットさん。明日のクリスマスイブはね、カナはシュウちゃんとお食事なの。頑張って○○○っていうレストラン予約したんだよ~。ねっ、シュウちゃん?」
と、シュウちゃんの腕に手をからませ、シュウちゃんの肩に顔をもたれさせて嬉しそうに話していた。
時計を見るとちょうどそのレストランで食事中の時間だろうと思えたので、
「どうしたの?おフランス料理が美味しいっていう自慢の電話?」
冗談でそう問いかけたのだがカナちゃんの声が暗い。「うーん、そうじゃなくて…」と口を濁す。その後、いくつかの要領を得ないやり取りの後、やがてカナちゃんが思い詰めたように言った。
「ねえスコットさん、今から出て来れませんか。私、いま近所にいるんです。セントラルパークにいるの」
カナちゃんは待ち合わせの場所を指定して「待ってるから!お願い!」と言うと電話を切ってしまった。仕方ないな、と思って私は仕事を中断して指定された待ち合わせ場所に出かけた。
「エヘ、実は今日の夕方、シュウちゃんとケンカしちゃいました。だから今カナは一人なのです」
待ち合わせ場所に着くとカナちゃんは開口一番そう言って笑った。多分そんな事だろうと予想はついていた。今までにもこの二人は何度か深刻なケンカをしており、その度に私が仲裁役をやらされた経験があったからだ。いつもは泣いて電話してくるが今回は泣いていなかった。
「今回はどういう理由で喧嘩したのさ?」
「えーと、なんていうか、些細な言葉のやりとりで…」
「なんでクリスマスに喧嘩すんだ馬鹿」
「…ごめんなさい」
「で、今ヤツはどこにいるの?」
「…わからないけど。もう私、どうしたらいいかわかんなくなっちゃって…」
「大体二人とも我が強すぎる。譲るとこ譲らないからいつもこうなるんだよ」
「それは反省してるけど…。ね、スコットさん、寒いからどこかお店に入りませんか?」
それもそうだと思って周囲を見ると道路を隔てた目の前に当時話題のお洒落なカフェ・レストラン(というのか?)があった。満席ではないかと思ったがスタッフに尋ねてみると意外にも「お二人様ですか?でしたらお席のご用意が出来ますが」という。カナちゃんも「私、前からここに来たかったんだ」というのでその店に入る事にした。
店内は思ったよりも広かった。案内されたのはお店のちょうど真ん中あたりの席である。着席してしばらくして私は大きなミスを犯した事に気がついた。当たり前の話だがその日はクリスマスイブ、まわりは幸福なカップルで満席の状態だったのだ。私は周囲を見渡した。いくつかのテー ブルでは男の手渡すクリスマスプレゼントを女性が目を輝かせて受け取って喜んでいる光景が見られた。
恋人と仲違いをして失意の状態にある女性が過ごすに相応しい空間とは言い難い。当然カナちゃんも同じ感想を持ったに違いない。しまった、焼き鳥屋にでも連れて行けばこういう微妙な雰囲気は避けられただろうと思ったがもう遅い。私はカナちゃんに視線を戻してその表情をうかがった。
カナちゃんはさっきまで気丈に振る舞っていたのとは別人になっていた。表情が沈んでいる。私は努めて自然な態度でカナちゃんに向かって世間話を試みた。だがカナちゃんは斜め45度下を向いたまま返事をせずに押し黙っている。来るぞ、と思った。
やがてカナちゃんの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。ひとたびこぼれ落ちた涙は止まらなかった。このときカナちゃんはこれでもか、というくらい涙を流した。ワンワン泣いて止まらないのである。
店内中央で起こったこの出来事が周囲の注目を集めるのに時間はかからなかった。私は右を見た。すると右側のテーブルの男女は私と一瞬目が合った後に目を伏せた。左を見た。左側のテーブルの男女も私と一瞬目が合った後に目を伏せた。私はキョロキョロするのを止めて目の間で泣いているカナちゃんの方を向いた。視界の隅で周囲の客達の顔が次々とこちらを向くのが見えた。運が悪かった。せめて空いているのが店の隅っこの席だった良かったのにと思った。
カナちゃんは女優の大原麗子に似た目元を持つなかなかの美人だった。そういう綺麗なコがクリスマスイブにテーブルで滂沱の涙を流して泣いて、しゃくり上げて、何事かを言いかけてはまた泣いて言葉にならない、という状態を延々と続けているのだから注目を集めるのも当然だ。
気のせいか店内が静かになったようだった。向こうの方でウェイトレスたちが肘を突つき合って無言で(見て、あれ!)という感じで顎でこちらを指しているのが見えた。やがて厨房の若いコックさんまで出て来てこちらを見物していた。コックさんにはもっと仕事に集中してもらいたいものだと思った。周囲のカップルはひそひそ話をしながらこちらをチラチラ見ている。
私には店内の空気が読めた。
私は一瞬で「事もあろうにクリスマスイブにこんなとこで別れ話を持ち出して女を泣かせたクズ男」になったのである。
お客もスタッフも全てが私を非難の目で見ていた。これは勘違いではないと思う。近所の席に、私に向かって非常に厳しい視線を送ってくる女性がいた。多分私のことを女性の敵とでも思ったのだろう。カナちゃんが落ち着きを取り戻すまでの時間が何時間にも思えた。
最後にこの店を出るとき、会計の女の子が「○○○○円になります」「○○○円のお返しです」という一連のやりとりの間、じーっと私の顔を珍しい生き物を見るように注視していたのを覚えている。
長くなったのでこの話はこれくらいにしよう。後日談だがシュウちゃんとカナちゃんはあっさり仲直りした。何事も無かったかのようだった。私は泣かれ損だった。カナちゃんは涼しい顔で、
「スコットさんごめんなさい。あの時は何だか泣けて来ちゃって。エヘ」
と言った。
「エヘ、じゃねえんだこの野郎!」
私はそう叫ぶと近くにあった新聞紙を丸めてそいつでカナちゃんの頭を思いっきりひっぱたいた。カナちゃんは「痛い~、何すんのよ~!」と抗議したが私は受け付けなかった。私はいつかあの店に自分の意中の女性をデートに誘おうと思っていたこと、だがあの事件のせいで二度とあの店に行けなくなった事などをカナちゃんに伝えて自分は怒っているんだという意思表示をした。だがカナちゃんは、
「そうか~、あの店でデートする気だったんだ~。悪い事しちゃった~」
と笑い転げるばかりで話にならない。
シュウちゃんも酷かった。こうしたやり取りをひとごとのように笑って見ているのである。腹が立った。
「もとはと言えばお前が一番悪い!」
私はシュウちゃんの腹に右ボディブローを叩き込んだ。シュウちゃんは「ウグッ」と腹を抑えて倒れながらもまだ笑っていた。実際、あとで話を聞くとシュウちゃんが一番悪かったのである。カナちゃんが泣いて当然のシチュエーションだったのだ。
いずれにしてもあの年のクリスマスイブが思い出す限り最低のクリスマスだった。
シュウちゃんはデタラメな性格だった。だから一緒にいるとデタラメな出来事が沢山起こった。当時はその都度大変な思いをしたがそれぞれの出来事も今思い返してみると楽しく思える。
シュウちゃんはもうこの世の人ではなくなってしまったのでもう私をデタラメな出来事に巻き込むことは無いだろう。その点はちょっとホッと しているが、それはつまり、今後は楽しい出来事もそんなに自分の身には起こらないという事も意味しているのかもしれない。そう思うとそれは少し寂しい。
※このブログは亡くなった友人との記憶が曖昧になる前に自分のために思い出話を書いたものです。
だが20代の頃はそうはいかなかった。大体においてクリスマスはトラブルの多い時期だった。クリスマスにはロクな思い出が無い。その中でも最悪のクリスマス・イブは20代後半の頃のものだ。
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すると電話が鳴った。カナちゃん(仮名)だった。カナちゃんというのは先年、若くして癌で亡くなった友人、シュウちゃんの当時の恋人だ。カナちゃんとはその前の晩に会ったばかりだった。その時に、
「スコットさん。明日のクリスマスイブはね、カナはシュウちゃんとお食事なの。頑張って○○○っていうレストラン予約したんだよ~。ねっ、シュウちゃん?」
と、シュウちゃんの腕に手をからませ、シュウちゃんの肩に顔をもたれさせて嬉しそうに話していた。
時計を見るとちょうどそのレストランで食事中の時間だろうと思えたので、
「どうしたの?おフランス料理が美味しいっていう自慢の電話?」
冗談でそう問いかけたのだがカナちゃんの声が暗い。「うーん、そうじゃなくて…」と口を濁す。その後、いくつかの要領を得ないやり取りの後、やがてカナちゃんが思い詰めたように言った。
「ねえスコットさん、今から出て来れませんか。私、いま近所にいるんです。セントラルパークにいるの」
カナちゃんは待ち合わせの場所を指定して「待ってるから!お願い!」と言うと電話を切ってしまった。仕方ないな、と思って私は仕事を中断して指定された待ち合わせ場所に出かけた。
「エヘ、実は今日の夕方、シュウちゃんとケンカしちゃいました。だから今カナは一人なのです」
待ち合わせ場所に着くとカナちゃんは開口一番そう言って笑った。多分そんな事だろうと予想はついていた。今までにもこの二人は何度か深刻なケンカをしており、その度に私が仲裁役をやらされた経験があったからだ。いつもは泣いて電話してくるが今回は泣いていなかった。
「今回はどういう理由で喧嘩したのさ?」
「えーと、なんていうか、些細な言葉のやりとりで…」
「なんでクリスマスに喧嘩すんだ馬鹿」
「…ごめんなさい」
「で、今ヤツはどこにいるの?」
「…わからないけど。もう私、どうしたらいいかわかんなくなっちゃって…」
「大体二人とも我が強すぎる。譲るとこ譲らないからいつもこうなるんだよ」
「それは反省してるけど…。ね、スコットさん、寒いからどこかお店に入りませんか?」
それもそうだと思って周囲を見ると道路を隔てた目の前に当時話題のお洒落なカフェ・レストラン(というのか?)があった。満席ではないかと思ったがスタッフに尋ねてみると意外にも「お二人様ですか?でしたらお席のご用意が出来ますが」という。カナちゃんも「私、前からここに来たかったんだ」というのでその店に入る事にした。
店内は思ったよりも広かった。案内されたのはお店のちょうど真ん中あたりの席である。着席してしばらくして私は大きなミスを犯した事に気がついた。当たり前の話だがその日はクリスマスイブ、まわりは幸福なカップルで満席の状態だったのだ。私は周囲を見渡した。いくつかのテー ブルでは男の手渡すクリスマスプレゼントを女性が目を輝かせて受け取って喜んでいる光景が見られた。
恋人と仲違いをして失意の状態にある女性が過ごすに相応しい空間とは言い難い。当然カナちゃんも同じ感想を持ったに違いない。しまった、焼き鳥屋にでも連れて行けばこういう微妙な雰囲気は避けられただろうと思ったがもう遅い。私はカナちゃんに視線を戻してその表情をうかがった。
カナちゃんはさっきまで気丈に振る舞っていたのとは別人になっていた。表情が沈んでいる。私は努めて自然な態度でカナちゃんに向かって世間話を試みた。だがカナちゃんは斜め45度下を向いたまま返事をせずに押し黙っている。来るぞ、と思った。
やがてカナちゃんの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。ひとたびこぼれ落ちた涙は止まらなかった。このときカナちゃんはこれでもか、というくらい涙を流した。ワンワン泣いて止まらないのである。
店内中央で起こったこの出来事が周囲の注目を集めるのに時間はかからなかった。私は右を見た。すると右側のテーブルの男女は私と一瞬目が合った後に目を伏せた。左を見た。左側のテーブルの男女も私と一瞬目が合った後に目を伏せた。私はキョロキョロするのを止めて目の間で泣いているカナちゃんの方を向いた。視界の隅で周囲の客達の顔が次々とこちらを向くのが見えた。運が悪かった。せめて空いているのが店の隅っこの席だった良かったのにと思った。
カナちゃんは女優の大原麗子に似た目元を持つなかなかの美人だった。そういう綺麗なコがクリスマスイブにテーブルで滂沱の涙を流して泣いて、しゃくり上げて、何事かを言いかけてはまた泣いて言葉にならない、という状態を延々と続けているのだから注目を集めるのも当然だ。
気のせいか店内が静かになったようだった。向こうの方でウェイトレスたちが肘を突つき合って無言で(見て、あれ!)という感じで顎でこちらを指しているのが見えた。やがて厨房の若いコックさんまで出て来てこちらを見物していた。コックさんにはもっと仕事に集中してもらいたいものだと思った。周囲のカップルはひそひそ話をしながらこちらをチラチラ見ている。
私には店内の空気が読めた。
私は一瞬で「事もあろうにクリスマスイブにこんなとこで別れ話を持ち出して女を泣かせたクズ男」になったのである。
お客もスタッフも全てが私を非難の目で見ていた。これは勘違いではないと思う。近所の席に、私に向かって非常に厳しい視線を送ってくる女性がいた。多分私のことを女性の敵とでも思ったのだろう。カナちゃんが落ち着きを取り戻すまでの時間が何時間にも思えた。
最後にこの店を出るとき、会計の女の子が「○○○○円になります」「○○○円のお返しです」という一連のやりとりの間、じーっと私の顔を珍しい生き物を見るように注視していたのを覚えている。
長くなったのでこの話はこれくらいにしよう。後日談だがシュウちゃんとカナちゃんはあっさり仲直りした。何事も無かったかのようだった。私は泣かれ損だった。カナちゃんは涼しい顔で、
「スコットさんごめんなさい。あの時は何だか泣けて来ちゃって。エヘ」
と言った。
「エヘ、じゃねえんだこの野郎!」
私はそう叫ぶと近くにあった新聞紙を丸めてそいつでカナちゃんの頭を思いっきりひっぱたいた。カナちゃんは「痛い~、何すんのよ~!」と抗議したが私は受け付けなかった。私はいつかあの店に自分の意中の女性をデートに誘おうと思っていたこと、だがあの事件のせいで二度とあの店に行けなくなった事などをカナちゃんに伝えて自分は怒っているんだという意思表示をした。だがカナちゃんは、
「そうか~、あの店でデートする気だったんだ~。悪い事しちゃった~」
と笑い転げるばかりで話にならない。
シュウちゃんも酷かった。こうしたやり取りをひとごとのように笑って見ているのである。腹が立った。
「もとはと言えばお前が一番悪い!」
私はシュウちゃんの腹に右ボディブローを叩き込んだ。シュウちゃんは「ウグッ」と腹を抑えて倒れながらもまだ笑っていた。実際、あとで話を聞くとシュウちゃんが一番悪かったのである。カナちゃんが泣いて当然のシチュエーションだったのだ。
いずれにしてもあの年のクリスマスイブが思い出す限り最低のクリスマスだった。
シュウちゃんはデタラメな性格だった。だから一緒にいるとデタラメな出来事が沢山起こった。当時はその都度大変な思いをしたがそれぞれの出来事も今思い返してみると楽しく思える。
シュウちゃんはもうこの世の人ではなくなってしまったのでもう私をデタラメな出来事に巻き込むことは無いだろう。その点はちょっとホッと しているが、それはつまり、今後は楽しい出来事もそんなに自分の身には起こらないという事も意味しているのかもしれない。そう思うとそれは少し寂しい。
※このブログは亡くなった友人との記憶が曖昧になる前に自分のために思い出話を書いたものです。
ダイエット再開
Diet Again
ダイエットを再開した。
昨年11月に痩せようと決心してから今年の4月にかけて、私は18kg痩せた。だが本来の目標は22kg減であった。途中で挫折し、達成出来なかったのである。
昨年ダイエットを決心した理由は太り過ぎたからだ。太り過ぎた理由は食べ過ぎのせいだ。そして食べ過ぎた理由は友人との食事にとことん付き合ったためである。
事の次第はこうだ。私には20年以上兄弟同様にして過ごして来た友人がいた。その友人が一昨年、癌の宣告を受けた。身体頑健で殆ど病気をしたことのない男だったが余りに身体の不調が続くため病院に行ったところ癌だと診断された。癌はすでに身体のあちこちに転移しており手遅れの状態だった。医者も手の施し様が無かったのである。若くとも癌になる人はなるものらしい。
ご存知の方も多いと思うが癌が進行すると人間は異常な痩せ方をする。それをこの友人は悲しんだ。私には友人の気持ちがよく判った。友人は長年の格闘技訓練とそれに付随するトレーニングによって培われた肉体美の持ち主だったからだ。その自分の肉体が痩せ衰えて行くのが我慢出来なかったらしい。
「おいスコット。これからオレは毎日でも肉を食べる。がんセンターの食事は老人食みたいでこんな食事をしてたんじゃ癌なんか治るわけがない。オレを病院から連れ出して焼肉に連れてってくれ」
そう懇願するのである。
個人的には食生活で進行性の癌が治癒するという事はあり得ないと思っていた。だが医者から「もってあと半年」と聞いていたので「こいつの好きなようにさせてやろう」と考えた。友人の希望に徹底的に付き合う事にしたのである。
それからの一年は自分の生涯で最も大食をした時期となった。友人が焼肉を食べたいと言えば焼肉を食べたし、ステーキを食べたいと言えばステーキハウスに行った。それも週に何回も行った。総じて大量の脂っこい料理と大量の炭水化物を摂取した時期だったと言えるだろう。友人は黙っていれば癌患者とはわからないほど沢山食べた。大袈裟に言うと鬼気迫るものすら感じた程だ。
「なあシュウちゃん、そんなに食べるのも考えものじゃないか?」
私はそう言った。だが友人は癌を退治するためには自分は食べ続けて栄養をつけなければならないのだ、と頑なに主張するのである。もうそれは友人の信念になっているらしかった。私は説得を諦めた。
その結果、私は1年で10kg以上太った。だが同じものを食べていた友人は痩せる一方だった。そして昨年の夏のある日、がんセンターの一室で息を引き取った。医者に「あと半年」と言われてから1年数ヶ月生きたことになる。医者の診立てよりうんと生命力が強かったのだ。
友人は息を引き取る前日の夜まで意識があった。
「スコット、お前はオレみたいにならないで長生きしてくれよ。ちゃんと健康管理してさ」
「長生きするにはちょっとオレ、太り過ぎたかも。見てみろよこの腹」
「そうだなあ、ちょっと痩せなきゃな。その肉、オレに分けて欲しいよ」
「ああオレだってお前に分けてやりたいよ」
そんな軽口を叩く元気すらあった。だがそうこうするうちに友人は疲れた、と言う。
「ちょっとオレ、休むわ。お前はゆっくりしていって。オフクロの話相手になってやって」
そう言ってニッコリ笑ってがんセンターのベッドに横になったその数時間後、容態が急変して翌朝には息を引き取ったのである。
その後葬式やら何やらをとり行い、友人のオフクロさんと故人の遺品の整理などをしているうちに気がつくともう秋になっていた。
「シュウちゃんがいないと人生が退屈だなあ」
そう思った。シュウちゃんとは10代の頃に知合ったが、お互いの性格が補完的で非常にウマがあった。知合ったのはそのあたりの街角。二人ともオートバイに乗っていた。
「お前、いいオートバイ乗ってんなあ」
「お前こそそれ、先月出たばっかりのカワサキじゃないか」
そんな事から会話が始まったのだがシュウちゃんは気持ちのいい男だった。我々はすぐ打ち解けてそのまま道端に座り込んで深夜までオートバイ談義をした。
オートバイ、車、格闘技などお互いの興味を持つ物が非常に似ていたという事もあったが、そういう事を別にしてもシュウちゃんと一緒にいると楽しい事が多かった。シュウちゃんは天然自然の人間的な魅力を持っていたからだ。シュウちゃんと一緒にいると自分の人生まで楽しい色に染まって行くような感覚があったのである。
余りに二人がいつも一緒にいるので「あいつらはホモじゃないか」と疑われる事も珍しくなかった。私などは自分の母親から遠回しに「あなたたち、ひょっとしてまさか、その、世間で言うホモっていう関係じゃないわよね?」と尋ねられた程だ。兄弟に間違われる事も多かった。
前述した「お互いの性格が補完的」というのはどういう事かというと、シュウちゃんは行動力はあるが少し抜けているので間違った事をしでかす事がしばしばあった。だから私が一緒についていて適宜シュウちゃんの軌道修正をする必要があった。加えて若い頃は二人とも半人前もいいとこだった。二人揃ってようやく一人前という感じだった。それで二人揃って何とか20代の頃は道を踏み外さずに持ちこたえたという感じがある。補完的というのはそういう意味である。
シュウちゃんと知合ってからの20数年を振り返ってみると私という男はシュウちゃんが行きたいというところには大体においてついていったし、やりたいという事は大体一緒にやってきたという事に気づく。いつもシュウちゃんが「スコット、ついてきてくれ」「スコット、オレと一緒にやってくれ、助けてくれ」と懇願してきたからだ。そして私はいつもシュウちゃんの懇願に負けた。我ながらお人好しもいいところである。
だが今度ばかりは一緒についていく訳にはいかない。
「シュウちゃん、悪いなあ。今度ばかりはシュウちゃんについて行けないよ」
位牌の前で手を合わせながら私はシュウちゃんにそう伝えた。
もっとも自分だってあと30年もしたらシュウちゃんが今いる場所に行く事になるかも知れない。それよりもっと早い段階で癌が発見されて死ぬかもしれない。その他にも心臓発作やクモ膜下出血など、この世には死ぬ原因はいくらでもある。
どうあがいたってそういう日はやがて来るのだから私はそれまでシュウちゃんに待ってもらうつもりだ。生前のシュウちゃんは待ち合わせなどに私が遅刻しても案外寛容だった。だから今度も多少の遅刻は許してくれるんじゃないかと思う。あの世に行った時に「ごめんごめん、遅れちゃった」と言い訳すればいい。
そんな事を考えているうちにふとシュウちゃんが最後に「お前は長生きしてくれ」と言っていた事を思い出した。
「痩せよう」
と思ったのはそういう理由からである。このまま自暴自棄の生活を続け、太った中年男になって成人病でポックリ死ぬのも悪くない、多額の生命保険にも入っているから残された妻も困らない筈だ、と思わないでも無かったがシュウちゃんの言葉を思い出して考えを変えた。シュウちゃんが生きていたらやりたかっただろう事をやったり、行きたかっただろう場所に行く、というような事を自分がシュウちゃんのかわりにするべきではないかと思ったのだ。
話がダイエットから相当ずれている。友人の話はここまでにして、私が半年間で18キロ痩せた秘密を今から公開しよう、と思ったが疲れたので中止。今度気が向いたら書く事にする。
現在の私の体重は昨年11月に「痩せよう」と思った時の体重の15キロ減。今年の夏の間に実は何キロか太った。だが私はダイエットを再開し、体重は着々と減少中である。目標は昨年11月の体重の22キロ減。それで20代の時の体重に戻ったことになる。目標体重まであと7キロ。継続して頑張ろうと思う。
ダイエットを再開した。
昨年11月に痩せようと決心してから今年の4月にかけて、私は18kg痩せた。だが本来の目標は22kg減であった。途中で挫折し、達成出来なかったのである。
昨年ダイエットを決心した理由は太り過ぎたからだ。太り過ぎた理由は食べ過ぎのせいだ。そして食べ過ぎた理由は友人との食事にとことん付き合ったためである。
事の次第はこうだ。私には20年以上兄弟同様にして過ごして来た友人がいた。その友人が一昨年、癌の宣告を受けた。身体頑健で殆ど病気をしたことのない男だったが余りに身体の不調が続くため病院に行ったところ癌だと診断された。癌はすでに身体のあちこちに転移しており手遅れの状態だった。医者も手の施し様が無かったのである。若くとも癌になる人はなるものらしい。
ご存知の方も多いと思うが癌が進行すると人間は異常な痩せ方をする。それをこの友人は悲しんだ。私には友人の気持ちがよく判った。友人は長年の格闘技訓練とそれに付随するトレーニングによって培われた肉体美の持ち主だったからだ。その自分の肉体が痩せ衰えて行くのが我慢出来なかったらしい。
「おいスコット。これからオレは毎日でも肉を食べる。がんセンターの食事は老人食みたいでこんな食事をしてたんじゃ癌なんか治るわけがない。オレを病院から連れ出して焼肉に連れてってくれ」
そう懇願するのである。
個人的には食生活で進行性の癌が治癒するという事はあり得ないと思っていた。だが医者から「もってあと半年」と聞いていたので「こいつの好きなようにさせてやろう」と考えた。友人の希望に徹底的に付き合う事にしたのである。
それからの一年は自分の生涯で最も大食をした時期となった。友人が焼肉を食べたいと言えば焼肉を食べたし、ステーキを食べたいと言えばステーキハウスに行った。それも週に何回も行った。総じて大量の脂っこい料理と大量の炭水化物を摂取した時期だったと言えるだろう。友人は黙っていれば癌患者とはわからないほど沢山食べた。大袈裟に言うと鬼気迫るものすら感じた程だ。
「なあシュウちゃん、そんなに食べるのも考えものじゃないか?」
私はそう言った。だが友人は癌を退治するためには自分は食べ続けて栄養をつけなければならないのだ、と頑なに主張するのである。もうそれは友人の信念になっているらしかった。私は説得を諦めた。
その結果、私は1年で10kg以上太った。だが同じものを食べていた友人は痩せる一方だった。そして昨年の夏のある日、がんセンターの一室で息を引き取った。医者に「あと半年」と言われてから1年数ヶ月生きたことになる。医者の診立てよりうんと生命力が強かったのだ。
友人は息を引き取る前日の夜まで意識があった。
「スコット、お前はオレみたいにならないで長生きしてくれよ。ちゃんと健康管理してさ」
「長生きするにはちょっとオレ、太り過ぎたかも。見てみろよこの腹」
「そうだなあ、ちょっと痩せなきゃな。その肉、オレに分けて欲しいよ」
「ああオレだってお前に分けてやりたいよ」
そんな軽口を叩く元気すらあった。だがそうこうするうちに友人は疲れた、と言う。
「ちょっとオレ、休むわ。お前はゆっくりしていって。オフクロの話相手になってやって」
そう言ってニッコリ笑ってがんセンターのベッドに横になったその数時間後、容態が急変して翌朝には息を引き取ったのである。
その後葬式やら何やらをとり行い、友人のオフクロさんと故人の遺品の整理などをしているうちに気がつくともう秋になっていた。
「シュウちゃんがいないと人生が退屈だなあ」
そう思った。シュウちゃんとは10代の頃に知合ったが、お互いの性格が補完的で非常にウマがあった。知合ったのはそのあたりの街角。二人ともオートバイに乗っていた。
「お前、いいオートバイ乗ってんなあ」
「お前こそそれ、先月出たばっかりのカワサキじゃないか」
そんな事から会話が始まったのだがシュウちゃんは気持ちのいい男だった。我々はすぐ打ち解けてそのまま道端に座り込んで深夜までオートバイ談義をした。
オートバイ、車、格闘技などお互いの興味を持つ物が非常に似ていたという事もあったが、そういう事を別にしてもシュウちゃんと一緒にいると楽しい事が多かった。シュウちゃんは天然自然の人間的な魅力を持っていたからだ。シュウちゃんと一緒にいると自分の人生まで楽しい色に染まって行くような感覚があったのである。
余りに二人がいつも一緒にいるので「あいつらはホモじゃないか」と疑われる事も珍しくなかった。私などは自分の母親から遠回しに「あなたたち、ひょっとしてまさか、その、世間で言うホモっていう関係じゃないわよね?」と尋ねられた程だ。兄弟に間違われる事も多かった。
前述した「お互いの性格が補完的」というのはどういう事かというと、シュウちゃんは行動力はあるが少し抜けているので間違った事をしでかす事がしばしばあった。だから私が一緒についていて適宜シュウちゃんの軌道修正をする必要があった。加えて若い頃は二人とも半人前もいいとこだった。二人揃ってようやく一人前という感じだった。それで二人揃って何とか20代の頃は道を踏み外さずに持ちこたえたという感じがある。補完的というのはそういう意味である。
シュウちゃんと知合ってからの20数年を振り返ってみると私という男はシュウちゃんが行きたいというところには大体においてついていったし、やりたいという事は大体一緒にやってきたという事に気づく。いつもシュウちゃんが「スコット、ついてきてくれ」「スコット、オレと一緒にやってくれ、助けてくれ」と懇願してきたからだ。そして私はいつもシュウちゃんの懇願に負けた。我ながらお人好しもいいところである。
だが今度ばかりは一緒についていく訳にはいかない。
「シュウちゃん、悪いなあ。今度ばかりはシュウちゃんについて行けないよ」
位牌の前で手を合わせながら私はシュウちゃんにそう伝えた。
もっとも自分だってあと30年もしたらシュウちゃんが今いる場所に行く事になるかも知れない。それよりもっと早い段階で癌が発見されて死ぬかもしれない。その他にも心臓発作やクモ膜下出血など、この世には死ぬ原因はいくらでもある。
どうあがいたってそういう日はやがて来るのだから私はそれまでシュウちゃんに待ってもらうつもりだ。生前のシュウちゃんは待ち合わせなどに私が遅刻しても案外寛容だった。だから今度も多少の遅刻は許してくれるんじゃないかと思う。あの世に行った時に「ごめんごめん、遅れちゃった」と言い訳すればいい。
そんな事を考えているうちにふとシュウちゃんが最後に「お前は長生きしてくれ」と言っていた事を思い出した。
「痩せよう」
と思ったのはそういう理由からである。このまま自暴自棄の生活を続け、太った中年男になって成人病でポックリ死ぬのも悪くない、多額の生命保険にも入っているから残された妻も困らない筈だ、と思わないでも無かったがシュウちゃんの言葉を思い出して考えを変えた。シュウちゃんが生きていたらやりたかっただろう事をやったり、行きたかっただろう場所に行く、というような事を自分がシュウちゃんのかわりにするべきではないかと思ったのだ。
話がダイエットから相当ずれている。友人の話はここまでにして、私が半年間で18キロ痩せた秘密を今から公開しよう、と思ったが疲れたので中止。今度気が向いたら書く事にする。
現在の私の体重は昨年11月に「痩せよう」と思った時の体重の15キロ減。今年の夏の間に実は何キロか太った。だが私はダイエットを再開し、体重は着々と減少中である。目標は昨年11月の体重の22キロ減。それで20代の時の体重に戻ったことになる。目標体重まであと7キロ。継続して頑張ろうと思う。
