そろそろ、その時期が近づいてきたようです。
実は私、大変元気に旅もしたり、会社にも出社しておりましたのですが、80歳の9月、つまり2年半年余位前、普通の会社の健診では指摘がありませんでしたのに、がんの健診ですい臓に影があり、がんを否定しません、精密検査を受けて下さい、と一行入ってきました。
がんの専門医の先生の推薦で造影検査を受けたら、肝臓にこんなのがあるのでは、他に原発があるはずとのことで、国立がん研究センターへ行ったところ、既にがんですと。専門医が何人もでチェックしているので間違いありませんとのこと。
しかも原発がすい臓で5期まであるうち、すでに4期。さすが研究所だけあって、石灰化かもしれないなどという励まし?などなく、さっそく治療計画です。
すでにここまできていると、他の治療は無理で、あの悪名高き(苦しい)抗がん剤の投与が始まりました。
そして昨年5月で、治験薬も駄目、半年前に出た新薬も駄目、となりもう手の施しようがなく、ひもの切れた風船のような感じの末期がん。いわゆる緩和治療。
この緩和治療というのは、まこと患者からすると頼りなく、ほっとくしかなく、痛くなったらモルヒネ、水がたまったら少しだけ抜く。たくさん抜くと腎臓にきてしまうのだそうです。
月一緩和治療の先生にお会いして、疑問があれば質問、ご指導を受ける。でも治るのではない、というものです。
なお、通常からすると昨年の8月位が最後の日になるようですが、2年位生きる人もいますよと。結果この2月その日が過ぎ、中には3年位生きる人もいますよと。
私の場合、お陰様で精神的にも体力的にも強く、かなり良い方のようです。
確かに発見の時期にもよりましょうけど、高校同期ポン友は見つかって3ヶ月。中学同期のポン友は10ヶ月でした。それからすると、結構がんの優等生ということになりましょうか。
さて、目下会社には行ってますが、昭和天皇のとき言われたⅩデーはいつになるのでしょう。Ⅹデーというのでは、恐れ多いので、Zデーと名付けることにしました。
具合の悪さは急激にやってくるとのことゆえ、そろそろかなと、心の準備をしっかり進めて参ります。心そのものは私は、そりゃ仕方ないと思う方ゆえ良いのですが、家のことも会社のこともきっちりやっておかないと残された者たちが困りましょうゆえ。
なにしろお葬式の手配もあるし、お墓も未だ買ってないし、大車輪でやらないと。
ワッハッハ。頑張らなくっちゃ!