――――見よ 富士の嶺は空高く――――
富士山を正面に仰ぐその土地では小、中、髙共 校歌には全て、例外なく富士山が入ります。
私達の中学では冒頭の「見よ富士の~嶺は空高く……」と富士山が高らかに歌いあげられます。高校になると「嗚呼昧爽〈マイソウ〉の星の影/函嶺赤く映ゆる時/東瀛〈トウエイ〉の波清らかに/八朶〈ハチダ〉の冠……」と続くのです。
さすがに高校になるといきなり富士を出さず、格調高く助走部分があり、その上で八朶の冠、つまり波打つ富士の峰が出て来ます。
昔々、私などの生まれる前に恩師に依頼され、旧制中学時代の先輩で橋爪健さんと言う人が旧制一高時代に作ったものとのこと。
橋爪さんはその後静岡の地を離れたため、そのご子息様は私共と同窓ではありませんでしたが、何年か前、同窓会に招かれて、ご挨拶の折、父の母校を訪ねるのは初めてですが、父から母校の校歌を作ったとの話は聞いており、光栄ですと言っておられました。
私と同い年とのことでしたので、もう男子の平均寿命に達しておられることになります。
なお私達の母校は今年創立120周年で、盛大に祝賀会が行われる予定でしたが、コロナのお陰でそれもあやうくなってしまいました。
なお、120年前に始まる前にさらに古い同名の沼津中学校が出来、さらに沼津兵学校が出来、そしてまた沼津中学校が出来、戦後高等学校になりました。このときから数えて120年ですから一番最初からですともう140〜150年位になるのでしょうか、余計な話ですが私の母方の祖々父はこの最初の中学の第二期生だったとのこと。
おくにじまんはきりなく続きますが、今回をもって“完”に致します。
なお自慢話はする側は大変心地良いものですが、聞かされる方はしばしばうんざりすることがあるようです。でも同郷人には心地良かったかも、いかがでしょう。
長きに渡るお付き合いありがとうございました。
高校の校歌を橋爪健さんに依頼した前田千守先生。
私達が高校時代まで教鞭をとって居られました。
ご縁でこの方のご子息勲様とは親しくご交誼いただきましたがもうとうの昔に鬼界に。