――――いよいよ おらがむらのじまんに――――
静岡県は自慢の種が、数々あれど数あれど、きりがないのでこのへんにして、おらがむらの自慢に。私が中学卒業までは元吉原村と言う村でした。8000人も居ましたので、村としてはかなりの村ではありましたが、のち吉原市に合併し、今は富士市。
元吉原は元々吉原でしたが、延宝の津波でごそっとやられ、のちの吉原へ逃げ、元々の残った吉原は元吉原となりました。
ここは半農半漁、徳川様の天領でもあった所。長閑な、豊かな、そして何より富士山が真正面に見える、十分自慢になる良い所でした。田んぼは1反(300坪)から6俵もお米の採れる実力ある所、徳川様が目を付けるのは無理なきこと。
今でこそ茨城などでも10俵位は採れるとのことですが、当時合成肥料も耕運機も無く全て人手でのこの6俵はすごい実力なのです(普通は3俵位とのこと)。もっとも牛も使ったのでしょうけど、牛はすごく高価、一般の農家は使えなかったはず。
私はこの豊かで長閑な温暖な土地で毎日家の窓から富士山を眺めて育ったのです。多分これが最高の自慢かも。では次回へ。
同期長沢正義氏撮影の富士山。
歌川広重は東海道53次で私の実家のある約1000m位東の大野新田と、
1000m西の左富士で富士山を描いてます。