どうさかと読みます。
私共の会社が30年近く前まで18年間を過ごした西日暮里駅前からほど近くに、この動坂があります。
坂が動く分けでもないのになぜ動坂なんだろうと思っていました。ずーっと、何十年も。
すると最近何かの案内から、理由を知りました。
目赤不動尊の下にある坂ゆえ不動坂と呼ばれ、後ち不が消えて動坂となったとのこと。
なるほどではありますが、反対の意味に変わってたとは!
なお、奈良時代に三文字の地名は煩雑だからと、政令(?)で二文字にしたことがあり、近江、遠江などは皆これです。伊豆にある木負(きしょう)もこれによるものとのこと。
木が負けてなぜきしょうか、不思議に思っていましたが、高校時代にこのことを知りました。木背負う→木負(きしょう)に。
でも、動坂は江戸時代のもの、前述のとは成因が違います。単に面倒だからのよう。もっとも奈良時代のも面倒が主因だったのでしょうけど。
動坂
現在の動坂の写真です。