以前勤めていた会社のとき早川牧場に納入した世界初の養豚用全自動給餌プラントの試運転で、2ヶ月ほど仙台の山の中、仙山線の愛子で過ごしたときのことを書きました。27歳の時でしたが、これが私にとって最も強い印象に残る仕事となりました。

それから25年振りに行って見たら、牧場は無く、電波工専になっていて、周りも開け、家々が出来、赤ちょうちんまで有って、びっくりしました。

なつかしく、それからまた一度行って見たいと思いつつ、27年が過ぎ、たまたま先日仙台へ行く折が出来、時間も取れたので行って見ました。

さらにびっくり。今度は駅前にはきれいなロータリーが出来、道路も一杯。まっすぐ伸びる広い道路には、ずっと先まで信号が続き、別世界に。

家々も立派になり、ホテルまで有って、電波工専は国立仙台工専になっていました。

赤とんぼの飛ぶ渺茫とした広い原野は住宅街に。

25年前はまだ当時の面影を残していましたが、今度はもう、全く一新、想像することすら出来なくなっていました。

    わが身世にふるながめせしまに、27歳だった私は79歳に。

 

         

     半世紀以上前の施工中の牧場の     昨暮行ったときのその後の仙台高専。

     プラント。                    現地に着いたらもう夜でした。