未だ小学校に入る前、70余年前の淋しい思い出が頭に浮かびます。
家にいた最後のねえや おせつの一人息子が、父親はもう亡くしていたのですが今思うと満州開拓青少年義勇隊に行くことになったと、おせつに連れられてあいさつにやって来ました、多分一張羅の焦げ茶色の上下の服を着て。満州へはそれを着て行ったのでしょう。
その頃家の裏に一杯咲いていたコスモスの花を取って、竹トンボのように秋空に飛ばして遊んでくれました。
そのコスモスの色、着ていた服の焦げ茶色、そしてその日のことを不思議によく覚えています。
そしてそれが最後となり、帰らぬ人になり、子供心にも淋しい思い出として心に残ることに。
おせつも淋しげでした。一人ぼっちになったおせつはときどき着物を着て、下駄をはいて、一時間かけて山を下り、一時間田んぼ道を歩いて往復四時間の道のりをタケノコが採れたりすると風呂敷に入れ、たすきに背負ってやって来ました、淋しそうな笑顔を浮かべる人でした。
私は東京に来てしまい、その後を知りません。
コスモスの花が咲くとその日のことを思い出します。