都電
私が記憶に出て来る一番最初は数え年4才(今の満2才)のとき、未だ東京が戦災に合う前母と東京に来て、皇居前を走っていたとき、その正面で都電が停まり、車掌さんが号令を掛け、皆皇居、当時は宮城と云ってましたが、その方を向き頭を下げるのです。
母から頭を下げるよう教えられましたが、今思えばそのころから私は云うことを聞かない子だったのでしょう、やだっ、と思い頭を下げず、廻りの様子を見ていました。
でも小さかったので、私は廻りから見えず注意を受けることも無く済みました。
そのころの都電は緑色でした。因みに今のJRの電車は、チョコレート色で、省線(しょうせん)と云ってました。私達は東海道線で黒い煙を吐きながら走る真っ黒なSLを毎日見て暮らしてましたから、そのチョコレート色も緑色もすごく都会的に見えました。
唯一残っている都電荒川線。もうチンチンとは云わず、普通の警笛に。