想い出に残る代表的なものを書きました。書くとあんな程度のことなんですが、親が呼び出されたり、先生がわざわざ家へお見え下さったりと、親、先生、上司にはやっかいなやつだったのでしょうね。

現フルード工業になってから、もう45年近くなるのですが、やはりしかられることはいくつか有りました。代表がしかられるのですからかなり困ったことなのですが、これは企業機密。一杯飲んだ折りにでも。

なお、後日談ですが、テストを白紙で出した件、美術史や、色相とか光の混合、色の混合など簡単なものでしたから書けば当然100点。これが0点となったため、卒業成績は二十何番かに。でも百数十名中、0点を入れても二十番台だったんだから、無ければトップだったかも、と当時都合の良い勝手なことを思っていた次第です。

小学校の先生は、中学になると、中学では高校になると、もう先生はしかってくれませんよ、いまのうちにしっかりしないとと注意をして下さいました。中学はどんなにか素晴らしい所かと思って行って見たら先に書いたような次第。そして高校の先生は、大学ではしかってくれんぞと、また大学では社会に出ると厳しいのだよと。
 でも、お陰様で社会が厳しいと感じたことは無く、概ね楽しく過ごさせていただきました、私には社会が合っていたのかも知れません。しかし、しかられることからはまぬがれませんでしたけれど。


しかられた想い出