前回書いた500㎏爆弾の先生の筆記試験で、別にゲンコツのお返しと云うのでは無く、何かあって、名前だけ書いて、何も書かず白紙で出して帰って来てしまいました。
翌日職員会議がやけに長いなあと思ってたら、これだったのです。結果、公立中学ゆえ退学は無いので、最も重い校内謹慎刑になってしまいました。
学校を休ませると喜んで休んでるだろうからと、校内が付いたのです。
毎日監視される他、日替わりで放課後、色々なことをさせられるのです、一人で学校中の掃除とか。中で最も大変だったのは、当時汲み取り式だったトイレの汲み取りと、肥桶かつぎです。校庭を担いで通り抜け、裏の松林に穴を掘ってうめるのです。
これは中々コツが要って、上手に担がないと、中でタポンタポンと波打ち、こぼれるのです。地べたにうまくこぼれればいいですが、途中に私がいるので、しっかりかかってしまいます。
女の子達まで大勢集まって来て楽しげにキャアキャア云うのです。チキショウメ。想い出の中で、これが一番重たい罰だったかと思います。
肥桶を担ぐのは最初で最後の経験となりましたが、当時農家はこれを肥料に使って野菜や米を作っていたのです。毎日毎日そして生涯。大変だったろうと思います。
特に田んぼはこれをまいた後でもかまわず入って、農薬が無かったから害虫取り、そして田の草取りをしなくてはならなかったのです。
もう若い人達は肥桶は見たことも嗅いだことも無いと思います。
こんな感じのものです。