教室で何かしたのでしょう、先生が立ってなさいと云うので、立ってました。でも退屈なので立ったまま遊んでました。
そしたら、出て行きなさいと。出て行きました。廊下に居ても仕方ないので運動場の砂場まで出て行き、遊んでいました。
すると校長先生が何だろうと思われたのでしょう、テクテクやって来て、どうしたんだと聞くので、ここに書いた通りを答えました。すると校長先生はうなづきながら、そうか、と云って行ってしまわれました。
その後校長先生が担任の先生にどのようなことを云われたかは今も分かりません。お二方とも、もう何十年も前に亡くなってます。
夕方ランドセルを取りに行ったら無くなってました。教員室に持って行かれたのです。返してもらいに行けばまた叱られるにきまっているので、そんなどじは踏みたくありません。
何食わぬ顔をして家に帰りました。
出て行けと云われて出て行ったんだから、戻って来いと云われるまでは行くもんかと云うわけで、翌日からは学校へ行かず、そのころ4㎞の道を歩いて町へ行き、出来たばかりのパチンコ屋さんに入り、実に楽しかったので何とかこれを作りたいと思っていたのでちようどよいわいと、家の裏で板を使って釘を打って斜めにしてビー玉をころがして悦に入っていました。構造はパチンコとスマートボールのあいの子のようなものでした。釘を一寸いじると玉は全然違う所に行くのです。色々やっては楽しんでいました。
もちろん家では学校へ行けと云うのですが、前述の論理をとなえては行かずにおりました。一週間程した日、とうとう父親に小脇に抱えられ、足をバタバタしながら連れていかれてしまいました。
子供だったのですね、行ったらそのまま学校へ行くようになりました。一週間も経っていたので、先生も幸い もうおこっては居らず、あきれた顔をされただけで済みました。
今でも良く憶えてますがこんな感じのものです。我ながら良く出来てたなと、今でも思います。