“しかられたシリーズ” を始めたばかりではありますが、小野田さんの亡くなられた報道にふれて
私共の会社が始まった頃、ガム島から横井庄一さんが、フィリピンのルバング島から小野田寛郎さんが救出されました。
もう戦後どころか、前回の東京オリンピックも終り戦争を感じさせない平和な日本になってしまってからのことでした。
このお二人には日本中が驚き、人間の生きる力の凄さと共に戦争のむごさの一面を改めて感じさせるものでした。当時ですと、まだまだそうゆう方が未救出のまま居られたかも知れないと思うと、つらいものを感じずにはいられませんでした。
子供の頃未だ戦争中で、こわいB29が独特な轟音を響かせながら頭上を飛び、むく鳥のように沢山飛来する艦載機、急降下で目の前の工場に今でも耳に浸みこんでいるキーンと云う甲高い爆音、カリカリカリと云う恐ろしい音で機銃掃射を掛けて来るのを見、聞き、そして終戦。父も5年間戦地に有り、高校時代までは未だ街に戦争の爪跡が残っていた時代を過ごし、後ち平和な日本で過ごすことの出来た私は、深く複雑な思いにかられました。
(写真は、“スポニチ Sponichi Annex”
から)