関係者のご努力は大変なものだったでしょう。負けてしまった国々には気の毒ですが、富士山に続き、先ずは日本にとって慶事だと思います。
2020年は前回の´64から56年ぶり。当時日本は戦後の苦しい時期を抜け出し、東京タワー、新幹線、高速道路と今までに日本には無かった素晴らしいものが次々完成、テレビを含む家電もほぼ行き渡ると云う明るい未来の有る時代でした。
今に比べればテレビはモノクロ、乗用車も庶民には今一歩と云ったころではありましたが、それだけに先があったのです。
´64年のときは高校同期が体操で次点、出られなかった残念が有りました。しかし知人や後輩がオリンピックに関連することを色々やっていて、入場券を厚さ1㎝程もくれ、行くのを楽しみに持っていました。
ところが丁度大阪への出張が重なり、行けなくなってしまいました。でも、´64.10.04出来て4日目の朝一の新幹線に乗ったなど、嬉しい楽しい想い出も一杯有りました。
入場券の行方についてはこの次に。
オリンピックと一所に走り出した0形新幹線。
面白いことに速くて当時は特急料の高かったひかりは通路のドアが手動式、安いこだまは自動でした。これは不思議。こだまの方が沢山止まり乗降回数が多いからだとのことでした。
ひかりの手動の方はそのまま開けると重く、ちょっとドアを押してから開けると軽く開きました。車内の気密を保つためだったとのこと。