前回このブログに書いた堺でのことです。

利休の屋敷が意外と小さかったんだなと思いながら見ていましたら、近所の住人と思われる、そこそこ高齢の方が近づいて来て、どこから来たかと聞いた上でちょっと説明させてもらっていいかとのこと。

もちろん喜んでお願いしました。

その方の話によると、ここが本当に屋敷跡だったかは50-50%とのこと。観光客が来てもどこか分からないのではつまらないだろう、と市が設定したものだとのこと。

 う~ん、複雑な思いに駆られました。私は歴史大好き、歴史と云うものはそもそも一つ一つ確認、検証がされて始めて成り立っているもの。それがせっかく来ても何も無くては残念だろうと云うことで設定されてる所だとは???確かに何も無くては見にも来ますまいし、来ることも出来ますまい。歴史のロマンを膨らませる効果は有るのかも。

 さて、場所はともかくとして、現実の屋敷は広大で、通り抜けるのに5分はかかったとのこと。それはそうかも知れないなと思って居ると、その方はさらに話を続け、それらのことは古事記に書いてあるとおっしゃいます。や、聞き間違えたかなと思い、古事記にですか?と聞き直すと、そう、古事記と云う古い本に書いてあると聞いていますとのこと。古事記とは800年以上も時代が違うはず、わざわざ説明して下さったその方には申し訳なかったですが、ちょっと…。興味を持って伺っていたのですが・・・・・。

一大(いちだい)のブログ


千利休の屋敷跡の可能性50-50%と云われている所

写真は、ホームページ「堺観光ガイド」から