子供の頃 富士市で育った私は、真正面の表富士と その前を走る東海道線を飽かずながめて育ちました。

東海道線ですから、最新鋭の大形機関車が沢山の車輌を率いて次から次に毎日走って来ます。なつかしい展望車付の特急つばめも、はとも、たまにはお召列車も、そして貨物列車も。貨物列車は多いときは100両以上率っぱってガタンガタンと40km/h位で通ります。つばめなどは95km/h位でした。

そんなことから、小学校の頃 模型の電気機関車が欲しくなり、でも買えません。それで、当時 田舎では、軒並み豚を12頭飼ってましたので、家でも 飼ってもらうことにして 飼い始めました。豚も小さいときは、きれいに洗ってやると大変温かく、可愛いらしいものです。

でも、だんだん大きくなるにつれ糞は沢山するし、まみれて汚いし、かなり臭うし、おなかがすくとブウブウどころか、キー、キーと大声で鳴き叫び、それはそれは大変なものです。

結局は、母に手伝ってもらい と云うか、ほとんど母に世話してもらったような気がします。医者の娘として育った母には、そのような経験も知識も無く、大変だったと思いますが、親と云うものは子供のためなら、結構耐えてくれるものです。3年程前 90余歳で他界し、今はもう居りません。お母さん ごめんね、ありがとう。

そんなわけで、豚は2度でやめましたが、念願かなって 電気機関車2台が座敷の中を毎日走り廻り始めました。

 私が機械屋になった原点です。


一大(いちだい)のブログ

 私の作った電気機関車。中学に入ったころ自分で作った写真の引き伸ばし機で 引き伸ばしたものです。もちろん写したのも私。私は中学時代写真部の部長サンしてたんです。