この言葉を言うときのクライアントの方の気持ち…。
これは、はっきり言って理解しようとしても難しいと思います。
もし、お互いの体を接続して感情交換するなどができるならそう言っても良いでしょうけども、その思いがどのくらいの強く、どのくらい辛いのかは、冷たいようですがご本人しか分からないことですよね。
この段階では、ご本人は心理的にも脳の各部の状態的にも、ネガティブ思考に陥って抜け出せずにいるので、
「うん、その気持ち、分かるよ…?」
と、いくら寄添おうとも、ご本人からしてみれば、
「他人のあなたが推し図れる程度の苦しみなら、はじめから死にたいなどと思わなくて済むのに…。」
と、思われてしまう可能性もあります。

では、どうするのか?
先生より伝え聞いた最良の応対に、自分の考えを織り交ぜて、お話したいと思います。

まず、
「死にたい」との訴えを、
「よく話してくださいました。ありがとうございます。」
と、より効果的な対応を行う「きっかけ」を与えて頂いたことに感謝を述べます。
それ以前に、
「その気持ちを抱えながらも、今、私との面談に応じて、足を運んで来ていただいたこと(または連絡をいただけたこと)、本当に勇気ある行動に感心しています。」
と、付け加えていくのも良いでしょう。

ポイントとして、推し計れようもないご本人の心の叫びの程度を、無理に正確に図ろうとはせず、
「話してくれた。来てくれた(連絡をくれた)。」
という事実に対して、私共がどう感じているかを、率直に述べることが、相手に受け取ってもらいやすいのではと思います。
ご本人の苦しみの深さは分からなくても、私共は自身の気持ちを理解することは出来ますから、「こう感じました」と伝えた内容に嘘や推測はないからです。

次に、こう訪ねていきます。
「今ここに足を運び、私に本音を話してくれた〇〇さんは、死にたいと思っているあなたですか?
それとも、生きたいと思っているあなたですか?」

ここで、どちらの答えが返ってきても、

「〇〇さんの中には、両方の気持ちが、同じくらいの強さで、存在していると思うんです。
死にたいと願う気持ちは、仰る通り、確かにあなたの中に強くあると思います。」

話してくれた死にたい気持ちを否定することなく、
「しかし、その裏には同じくらい生きたいと願う気持ちが隠れていたのではないでしょうか?
そちらの気持ちの部分が、一縷の望みを求めて、ここへ足を運び、今、私に本音を話してくれた。」

死にたいという思いだけが、ご本人の思考を支配しているのではなく、実は、生きたいという思いも負けないくらい強く存在しているんだということに、気付いて頂くために、少し複雑ではありますが、このところについては、丁寧に詳しく分かりやすくお話していかなければなりません。

生きたいという気持ちは、生物である以上の「生存本能」ですから、これが枯渇することはありえないところに語りかけ、生きたいの気持ちを強めていくのです。

あとは、この後解散してまた一人になったとき、また「死にたい」のほうが勝ってきて、辛くなってきたとき、どう行動したら良いのかのところを、よく確認し合ったところで、様子をよく観察しながら見送ります。

具体的には、私共、もしくは相談センターや夜間救急外来の連絡先と、携帯電話などの連絡手段を、いつでも使用可能な状態で、手元に置いておくことなどになります。

死にたいという考えに至っている方々は、大抵「孤独」を抱えていらっしゃると思います。
「誰も私を助けてはくれない」
「この世の中や、そこに生きる他の人間に、希望を持てない」という、絶望が思考を覆っていきます。
「死」の先には、ただその先にはあなたという存在や自我が消えた未来しかないが、
「生」の先には、元気を取り戻して、活き活きと生きている、可能性に満ちた未来が、どこまでも広がっていくと、私は信じます。

「世の中はいい人がいくらでもいる」
「その人たちと、協力し合いながら、共に生きていくこともできる」
「生き延びて元気を取り戻して、心身共に楽になっていくに連れて、自然とそう感じることが出出来るはずですから。」

「死」意識したとき、死への恐怖は薄れていくよりも、むしろ強まっていき、ご本人の生命を守ろうとしてくれます。
その恐怖の正体は、紛れもない「生」の切望、もっと生きていたいという、ご本人のもう一つの本音であり、本能だと思います。

以上が私の考え方のところではありますが、
「死にたい」との訴えに相対するときの、僅かながらの参考になることができれば、幸いに思います。

最後までご精読ありがとうございます。
m(_ _)m
🙂