邦題:十二人の怒れる男
89点。
 
脚本が面白ければ場所なんて関係無いとまで思わせられちゃうワンシチュエーションの法廷物サスペンス映画。何なら66年前の映像、音響技術なので、それすらも関係が無いのかしら。成人男性12人が集まってやいのやいの話し合うだけなのに、ここまで深みがある物語が作れるなんて。
 
 
以下、ネタバレ。って言うか、感想。
 
 
〜舞台、背景、法関連〜
 
年代は語られないので、当時1950年代と仮定します。舞台はニューヨーク州です。
アメリカは古くイギリスの植民地時代から陪審制が導入されています。劇中でさらっと説明が為されますが、タイトル通りの12人で有罪か無罪かを評決し、全員一致での結果で無ければならず、量刑自体は判事が決めるものです。ニューヨーク州の第一級殺人の定義は殺人及び計画性の有無です。死刑か終身刑が下されると考えられます。
 
補足事項は、劇中で8番陪審員が凶器の飛び出しナイフと意匠が同じ物を買った事を「それは違法だ。」と指摘されますが、それはこの制度が審理中で見聞きした事だけを基に判断せねばならず、自分で新たに証拠を調べたり、証人や被告人に質問をする事を禁じているからです。その為に、証人に聞けばすぐに解る事も至極、大真面目に想像や仮定で話すしか無い訳です。
 
アメリカの未成年者は概ね18歳未満、州によって違う事もありますが「被告人はまだ18歳の少年ですよ!」に「もう大人だ。」とのやり取り及び、舞台がニューヨーク州である事から、被告人は成人男性の括りとなります。
 

 

 

↑法廷で珈琲を飲んではいけません。
 
 
~冒頭~
 
裁判官が口を開く。何だかやる気を感じませんが。
 
「諸君は証言や、本件に適用される法律を聞いた。
後は嘘と事実を見分けるのが仕事だ。1人が死に、もう1人が裁かれる。
被告人の有罪に疑いがあれば、それが妥当な疑いなら、評決は無罪である。しかし、妥当な疑問が無い場合には有罪となる。いずれにせよ、評決は全員一致である事。
そして評決が有罪の場合、裁判所は情状を酌量しない。当然死刑の宣告となる。
だから諸君の責任は重大だ。」
 
被告人の表情からは彼が無罪であるのか有罪であるのかは読み取る事が出来ません。
絶妙な演技です。
 
 
〜結末〜
 
(有罪かもしれないけど、解らないから無罪で一致しよう。「疑わしきは罰せず」)が結末なので、これはある意味、大風呂敷を広げた茶番劇と言えます。
 

 

 

↑人を指差してはいけません。
 
 
~感想~
 
評決に対して損も得も無い市井の人達が集められていますので、さっさと終わらせて帰りたいと思う人が居ても然程おかしい事ではありませんし、偏見に凝り固まった人が居たっておかしくありません。それが客観視を取り入れる陪審制の目的ですもの。
 
そもそも、殺人の罪を犯した者が何故そうなってしまったのかといった背景を探るのは余計な事であって、だから殺ったのねと理解してはいけないし、普通の人は理解をしようとしたらいけないんです。この場合は酌量の余地は裁判官が決めます。
 
前述の通り、違法に入手した証拠は当審議では本来、証拠能力がありません。
 
劇中に出て来る無罪側の反証も一分の隙も無い反証では無く、どうとでも捉えられるので有罪派を煙に巻いた感があります。同調圧力の描写もありました。はて、正義とは何なんでしょう。
 
総じて、これが本当に正しい評決であったのかは疑問が残ります。だからこそ当映画は奥深く、正義が勝つ痛快法廷ドラマの様で、陪審制の教材と成り得る社会派映画の側面を持ち、心理学の観点からも非常に怖いサスペンスとなっています。