閲覧ありがとうございます。
ここ数日温かったせいか宇都宮では桜が満開ですね。皆さまはもう花見はされましたか?僕はまた蕾の段階で花見ならぬ蕾見をしました、しかもいつも並んでいる屋台が一軒もなかった段階でです。完全にフラゲw
こんちは、flowwingですΨ( ̄∇ ̄)Ψ
明日から医療従事者として現場に出るわけですがドキドキが止まらないです(笑)
そのドキドキが止まらないのは単に社会人になるという理由からの緊張だけでないんです(^_^;)
というわけで今回は自分が作業療法士を目指すきっかけをお話ししたいと思います。長いですが少々お付き合いください_(..)_
話は自分が小学生の頃に遡ります。
小学2年の遊び盛りの頃、自分の身体のある変化に気づきます。息があがると左手に力が入らなくなる、酷いときはそのまま冷たくなり、呂律もまわらなくなる。
小さかったこともあり、状況を把握仕切れていない自分はただただ怖かったことを覚えています。
そうしたことが何回か繰り返しみられ、さすがにおかしいと感じた親と一緒に病院に向かう。
受けた診断は「ウイリス動脈輪閉塞症」
通称「もやもや病」というもの
簡単に説明すると脳の血管の病気です。
人間の脳にはウイリス動脈輪という1つの輪っかのように連なっている血管があり、それが脳に血液を送っています。しかし、自分の場合その動脈輪が何らかの原因で狭まっており、必要な量の血液が送ることができません。ところが人間の身体は凄いものでそれを補おうと側副血行路という細く脆い血管が発達し、煙草の煙のようにもやもやと張り巡らし、なんとか血液を送ろうとします。
しかし、それだけでは足りず一時的に脳の血管がつまってしまうTIA(上に記した片手に力が入らなくなる症状)という発作を何回も起こしました。そのため、小学校では体育は息が上がるものは全て見学。リコーダーや鍵盤ハーモニカもダメ。授業のプールも両親のどちらかがみててくれなきゃ入れない。周りの友達はみんな同じことをやっているのに自分だけできないもどかしさは正直ありました。1番酷かったときは熱々のポテトを食べただけで発作が起きていましたからね(笑)両親にはかなり迷惑をかけました💧
そんな状況を救ってくださったのが病院で自分を診てくださったある先生でした。
2回の手術を先生にして頂いた後、自分は少しの注意と管理をするだけで今まで何不自由なく生活することができ、今なんて自転車競技ができるまでになりました。
それをきっかけに「自分は医療関係の仕事に就こう」と考えるようになり、それをその先生の前で「先生みたいなお医者さんになる‼」と大胆にも宣言しちゃいました(笑)
子供は後先考えない発言が多いため困ったもんです(←俺
その大胆発言から15年後…
自分はその先生が院長を勤めていらっしゃるクリニックに療法士として働かせて頂けることになりました(笑)宣言とは少し形が変わりましたがそういう理由でドキドキなんです(^w^;)
経験も技術もない自分を快く迎えて頂き、また先生にはお世話になってしまいますが一日も早く恩を返せるように一人前のOTを目指します!
そしてこれまで自分を支えてくれた両親への感謝を忘れずに新たな一歩を踏み出したいと思います‼
今回はこの辺で!
それでは、Adiós, amigos!!(^^ゞ
(追記)
1回目の手術の際、小2の自分は号泣しながら病棟を逃げ回った挙げ句連行され、普通は入れない母親まで手術室に入れた(←院内初の出来事)にも関わらず手術を拒否ったため無理矢理麻酔をかけられて手術を強行したという話は伝説になっているらしいです。いやぁ、恥ずかしい恥ずかしい(^w^;)(笑)

