出会いはフローテーション♪ -73ページ目

年末年始のテレビ

年末年始、楽しみな番組 ブログネタ:年末年始、楽しみな番組 参加中

あんまりテレビ見ないんですよねえ。
去年のガキの使いの「笑ってはいけない・・・」は職場の近くがロケ地だった様です。
番組は見ませんですたが。

不規則な生活を送ってるので、毎週同じ番組を見るという習慣がありません。
たまたまその時やってる番組を見るだけなので、バラエティーやニュースなどの続き物じゃない番組ばかり見ます。
基本俺の情報源は東スポです。


苗字

憧れの苗字は? ブログネタ:憧れの苗字は? 参加中

ミン・オン・トゥイー(以下略



ゴ・ゴールデンチケット・・・

あなたのハートを音楽のジャンルであらわすとしたら? ブログネタ:あなたのハートを音楽のジャンルであらわすとしたら? 参加中

うーん、やはりフォークでしょうか。


ぼくの名前はミン・オン・トゥイー
ミャンマーからの留学生
しばらくの間 ぼくの話に
耳を傾けて欲しい

去年の春 ぼくは
信州大学に入学した
雪をかぶった日本アルプスが
とてもきれいだった

思い返せば昔のこと
ぼくはベルギーへ行った
化学兵器の研究のため
政府から派遣されて

来る日も来る日も没頭した
毒ガスや細菌の研究に
素早く効果的に人を殺す
化学兵器ををつくるために

ベルギーへ行って2年目の夏
遅ればせながら気がついた
政府はぼくが作る化学兵器を
国民に向けるだろうと

ぼくは何日も考えた
こんなふうに生きて行きたくないと
そしてついに決心した
国へもどることを

ぼくの父は元軍人で
政府の高官だったが
政府のやり方に嫌気がさし
密かに活動を始めていた

ぼくは政府の方針に逆らい
勝手に帰国したかどで
刑務所にぶち込まれ
毎日取調べを受けた

そのうち大規模な民衆運動がおこり
国は無政府状態におち入り
全ての政治犯は釈放された
ぼくもその中のひとりだった

このまま国に残ることは
あまりにも危険だった
ぼくは日本へ行くことを決め
東京の日本語学校に入った

その間に国の名前は
ビルマからミャンマーに変わり
軍事政権が樹立され
銃口を国民に向けた

ぼくには三人の弟がいたが
一番下の弟は
おととし反政府デモの最中に
撃ち殺された

それからひと月もたたないうちに
母は病に倒れ
悲しみのうちに息を引きとったと
父の手紙が伝えてきた

どうしたらいいかわからなかった
でも国へ帰ることはできなかった
死んだ母や弟を思い
辛い日々が続いた

日本語もかなりわかるようになったし
しばらく日本にいるのなら
日本の大学に入学して
勉強したいと思った

去年の春 静岡大学と
信州大学に合格した
どっちがいいか日本語学校の
先生に相談した

「君はミカンとりんごの
どっちが好きか」と彼はきいた
ぼくが「りんごです」と答えると
「じゃあ信州大学だ」と彼は言った

四月になり、学校が始まり
ぼくは松本へやってきた
山に囲まれた美しい町
心に平和がもどってきた

去年の6月 父と弟たちは
イギリスへ亡命した
ぼくは彼らに会うために
夏休み イギリスへ行った

彼らはバーミンガム郊外の
小さな家に住んでいた
かばいあい 身を寄せながら
ひっそりと生きていた

忘れもしない 8月3日
ぼくはひとりでドライブに出た
グラスゴーへ向かう田舎道
トラックに追突された

車が川に落ちる前に
ぼくはなんとか飛び降りた
薄れゆく意識の中で
走り去るトラックが見えた

気がついた時 ぼくは
病院のベッドに横たわっていた
大腿部骨折 頭部打撲
全治3ヶ月だった

父と弟たちが知らせを受けて
あわてて病院へかけつけた
父はぼくの手を握りしめ
「しっかりしろよ」と言い続けた

彼らはその晩もどって行ったが
決して家にはたどりつかなかった
車に仕掛けられた爆弾が
彼らを吹き飛ばした

一年足らずの間にぼくは
家族をみんな失った
なぜ父が母が弟たちが
殺されなければならなかったのか

ぼくにはどうしてもわからない
なぜ人と人が殺し合うのか
多くの生命が失われた
主義や正義のために
ベトナム アフガニスタン カンボジヤ
南京 アウシュヴィッツ クロアチア
多くの生命が失われた
主義や正義のために

りんごが赤く色づく頃
ぼくは松本へもどってきた
日本アルプスはまた雪をかぶり
空は透きとおるように青かった

最後にひと言 日本政府に
言っておきたいことがある
ミャンマーの軍事政権は
日本のODAが支えていることを

ぼくの名前はミン・オン・トゥイー
ミャンマーからの留学生
ありがとう ぼくの話を
最後まで聞いてくれて



忙しいよ。

忙しい? ブログネタ:忙しい? 参加中

明日で締め切りのブログネタをどんどん消費していきます。
昨日忘年会をやりました。詳細は後日にでも。
結構忙しいです。
仕事に睡眠にブログに競馬にピグにオナヌーに。
所要時間の短い順に書いてみました。

ブログネタ消費週間

年末は誰と過ごす? ブログネタ:年末は誰と過ごす? 参加中

うーん、多分2ちゃんとブログとピグとオナヌーで過ごすんじゃないでしょうか?
来年40でえす♪


今年よく聞いた歌

今年一番いっぱい聞いた曲
ブログネタ:今年一番いっぱい聞いた曲参加中

上半期によく聞いたのは福山雅治の「最愛」です。






後半聞いたのは工藤静香の「ice rain」


どっちもカラオケで歌うためにyoutubeで繰り返し聞きました。



そして、このブログに書き込むためにCDを買いなおしたのが
ミン・オン・トゥイーのバラード 三浦久(1994年)

ぼくの名前はミン・オン・トゥイー
ミャンマーからの留学生
しばらくの間 ぼくの話に
耳を傾けて欲しい

去年の春 ぼくは
信州大学に入学した
雪をかぶった日本アルプスが
とてもきれいだった

思い返せば昔のこと
ぼくはベルギーへ行った
化学兵器の研究のため
政府から派遣されて

来る日も来る日も没頭した
毒ガスや細菌の研究に
素早く効果的に人を殺す
化学兵器ををつくるために

ベルギーへ行って2年目の夏
遅ればせながら気がついた
政府はぼくが作る化学兵器を
国民に向けるだろうと

ぼくは何日も考えた
こんなふうに生きて行きたくないと
そしてついに決心した
国へもどることを

ぼくの父は元軍人で
政府の高官だったが
政府のやり方に嫌気がさし
密かに活動を始めていた

ぼくは政府の方針に逆らい
勝手に帰国したかどで
刑務所にぶち込まれ
毎日取調べを受けた

そのうち大規模な民衆運動がおこり
国は無政府状態におち入り
全ての政治犯は釈放された
ぼくもその中のひとりだった

このまま国に残ることは
あまりにも危険だった
ぼくは日本へ行くことを決め
東京の日本語学校に入った

その間に国の名前は
ビルマからミャンマーに変わり
軍事政権が樹立され
銃口を国民に向けた

ぼくには三人の弟がいたが
一番下の弟は
おととし反政府デモの最中に
撃ち殺された

それからひと月もたたないうちに
母は病に倒れ
悲しみのうちに息を引きとったと
父の手紙が伝えてきた

どうしたらいいかわからなかった
でも国へ帰ることはできなかった
死んだ母や弟を思い
辛い日々が続いた

日本語もかなりわかるようになったし
しばらく日本にいるのなら
日本の大学に入学して
勉強したいと思った

去年の春 静岡大学と
信州大学に合格した
どっちがいいか日本語学校の
先生に相談した

「君はミカンとりんごの
どっちが好きか」と彼はきいた
ぼくが「りんごです」と答えると
「じゃあ信州大学だ」と彼は言った

四月になり、学校が始まり
ぼくは松本へやってきた
山に囲まれた美しい町
心に平和がもどってきた

去年の6月 父と弟たちは
イギリスへ亡命した
ぼくは彼らに会うために
夏休み イギリスへ行った

彼らはバーミンガム郊外の
小さな家に住んでいた
かばいあい 身を寄せながら
ひっそりと生きていた

忘れもしない 8月3日
ぼくはひとりでドライブに出た
グラスゴーへ向かう田舎道
トラックに追突された

車が川に落ちる前に
ぼくはなんとか飛び降りた
薄れゆく意識の中で
走り去るトラックが見えた

気がついた時 ぼくは
病院のベッドに横たわっていた
大腿部骨折 頭部打撲
全治3ヶ月だった

父と弟たちが知らせを受けて
あわてて病院へかけつけた
父はぼくの手を握りしめ
「しっかりしろよ」と言い続けた

彼らはその晩もどって行ったが
決して家にはたどりつかなかった
車に仕掛けられた爆弾が
彼らを吹き飛ばした

一年足らずの間にぼくは
家族をみんな失った
なぜ父が母が弟たちが
殺されなければならなかったのか

ぼくにはどうしてもわからない
なぜ人と人が殺し合うのか
多くの生命が失われた
主義や正義のために
ベトナム アフガニスタン カンボジヤ
南京 アウシュヴィッツ クロアチア
多くの生命が失われた
主義や正義のために

りんごが赤く色づく頃
ぼくは松本へもどってきた
日本アルプスはまた雪をかぶり
空は透きとおるように青かった

最後にひと言 日本政府に
言っておきたいことがある
ミャンマーの軍事政権は
日本のODAが支えていることを

ぼくの名前はミン・オン・トゥイー
ミャンマーからの留学生
ありがとう ぼくの話を
最後まで聞いてくれて


まあ、単に長い記事書きたかっただけですけど。


iTunesリワインド2009(iTunes storeへ)
iTunesリワインド2009(iTunes storeへ)

東京大賞典

サクセスブロッケン→ヴァーミリアン→ゴールデンチケットの3連単9000円とボックス1000円ずつ。

計15000円でございます。

2ちゃんで俺にブログをすすめた人


今年一番輝いていたブロガーは?
ブログネタ:今年一番輝いていたブロガーは? 参加中


今年の5月までは全くブログをやる気はなかったんですが、2ちゃんで俺にブログすすめた人、誰なんでしょ?

たぶん初期に読者登録してくれた方のどなたかとは思うんですが。

その方が、私の人生をちょっぴり変えてくれた、「今年一番輝いていたブロガー」です。

レストランS

何食べたい?って聞かれて具体的に答えられる? ブログネタ:何食べたい?って聞かれて具体的に答えられる? 参加中


虎ノ門にあるフランス料理店「レストランS 」に行って来ました。
ハゲソムリエの田崎真也の店です。
愛宕神社の近くにあり、静か~なとこでした。

頼んだのは3,800円(サービス料別)のランチ。
前菜はかに味噌をどうこうしたのやら、豚を煮込んで結局ソーセージ味にしたペースト状の物体、赤カブのサラダ風パスタ、菜っ葉。
スープはカリフラワーのポタージュ的なもの。しょっぱい。
魚料理はカサゴをホワイトソースで味付けた感じ。うまい。
肉料理はウサギとか子羊とか豚とか鴨とかから選ぶ。ウサギ食いたかったが売り切れ。
デザートとコーヒー、小さいパン。硬い。

グラスワイン都合4杯頼んで2人で10,000円弱。劇的にうまいわけじゃないけどお得だと思います。
ハゲソムリエも店に来て、常連だと思われる客に挨拶してました。

一緒に行ったのは今年ほとんどモヤモヤしなかった人 なのですが(忘年会の下見だった)、なんでも今年一杯で会社辞めちゃうそうで、おかずが一人遠ざかってしまいました。ショボーン

有馬はほぼ決めた

アンライリーチスリーフォゲマツリの3連単ボックス1000円、馬単ボックス2000円
たぶんこれで10万です。
知り合いと中山行って、ホープフルSからチビチビ買っていこうと思ってます。