小島善太郎さん、年譜から

 

1889年 新宿区淀橋小学校に入学。十一歳で、同校中退

 

1905年 浅草の醬油屋に住み込みで働き、一家を支える

 

1909年 八百屋に勤め画家志望の願かけ大寒に裸参りをし、水ごりをする

 

1910年 前侍従武官長中村覚閣下に見いだされ,同家の書生となる。夢にみた太  

      平洋画会研究所に入所する。

 

 

善太郎さんにとって、中村覚閣下との出会いが、大きな人生の岐路となりました。

 

話を伺うと、八百屋さんの御用聞きにいって、そこから書生さんとなったということです。

 

 

その間のやりとりに、どれだけの心情の発露があったかは、知る由もありませんが、

 

明治の侍従長の閣下が、どれだけ見込みのあると認めた若者を引っ張り上げてくれた

 

か。

 

善太郎さんの宿命から運命を選択をし、そして天命に導かれていく過程が生々しく感じられます。

 

 

中村閣下は、つねに「汝は、我輩の子と変わる所なし、日本一の画家となりて国家に

盡せよ。幸いに成功せば我輩の満足何物に及ばん」と言っておられたそうです。

 

 

「中村閣下の尊像」は、描きおわるまで7年かかりました。その絵をご自宅にもっていった際、奥様は床の間の前の座布団にどうしてもお座りなさいと「今日は一人前になったお祝いよ。どうもありがとう」とおっしゃってお祝いの盃をくださったとか

 

 

一枚の絵を7年かけて描き入れたその思い。

 

その絵は、現在青梅美術館に収蔵されています。