こんにちは
当ブログにお立ち寄りくださいまして
ありがとうございます
Akikoです
ずいぶんと暑くなりました☀
それでもベランダの植物たちは
元気でいてくれて
時々、ピチュピチュと
遊びに来てくれるスズメが可愛い😊
驚かさないように、そぉ〜っと
カーテンの隙間から覗く…
だって、姿を見たいのだもの。
先日、あるかたから教えて頂いた
美術家の篠田桃紅さん
私は全く存じ上げなくて、ネット調べて初めて知りました。
何気なく母に話したところ、
母、篠田さんのエッセイを持っていまして!!
それ、読ませて!と、借りてきました。
とても読みやすい文章で
さらっと一気に読み進めることができます。
文字に流れがあるというか
流麗という言葉があてはまる気がします
ただ、さらりと読めてしまうがゆえに
読んだつもりになってしまうと
も一度、戻らないと頭に入らない時も 笑。
ひと通り読んだなかで
一番印象に残った言葉
生まれたときの自分に信を置く
これは篠田さんが、
詩人の三好達治さんの「冬の日」という
文章をもとに
綴られた言葉です。
『生きていれば、突然、なにが起こるかわかりません。なにかが起きると、人は救いを求めます。すると知恵というものが、思いがけず降りてくることがあります。それを詩人の三好達治は、信じなさい、と言いました。
…生まれたときの自分というものに、信を置いて迷ってはならない…
…真実は目に見えるものではなく、心が感じるものです。……どんな小さなことでも、見逃さずに感じ取る。そうしていればおのずと、自分にとっての真実の生きかたが見えてくるだろうと思います。』
(105歳、死ねないのも困るのよ 本文より引用)
心が感じるもの
喜や楽は心地よい
だから、案外わかりやすい。
怒や哀は一見、心地よいものではないから
押し込めたり、我慢しやすい。
日々のなかでふと感じる違和感も
これくらい平気
と、見ないふりをしてしまったり。
生きることとは
自分を存分にいかしていくことだとしたら
自身の感覚を信じなくて、なにを信じるのだ!
この世に生まれたときには
すでに、答えは持っているのだろう
だから、こそ
“生まれたときの自分に信を置く”
足りものなど、なにもない
あるものを、しっかりと感じ取っていく
目に入るもの、耳にするもの
鼻から入る香りや、口に入るもの、肌にあたるもの
感覚は、自分を守り、自分を磨く
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