今回は静岡県浜松市に存在するレトロパチンコが楽しめるゲームセンター、パチンコマルマツを紹介します。

マルマツパチンコは浜松市の舘山寺温泉街に存在しており、周囲には舘山寺や舘山寺温泉、遊園地パルパル等があり一大観光地となっています。
舘山寺からほど近い門前通りにレトロパチンコの看板を発見、こちらがマルマツパチンコとなります。
特徴は本物のパチンコ屋さんの建物を利用しているところ。
元々はパチンコ丸松って名前のお店で昭和30年代創業、小さいホールながら60台のパチンコ機が設置されていました。
2007年に営業を停止し、お隣の日本料理店【松の屋】さんが事業を引き継ぎゲームセンターとして生まれ変わります。
2022年にレトロパチンコ専門店としてリニューアルされ現在に至ります。
パチンコ機は1980年代〜2000年代の機種が22台稼働しています。
基本的には羽根モノがメインとなっていました。
利用料金は30分500円、1時間1000円〜で楽しめます。

動画↓
写真を撮り忘れましたがプレイ料金を払うと30玉くらい入った入れ物を渡され、台に入れて循環させて遊ぶ感じです。
大当たりしても玉が増える訳ではないので、他の台で遊ぶ場合は玉を抜いて玉を入れ物に入れ移動します。
マルマツパチンコに入ると女将さんが居たので1時間遊ぶ事にしました。
店内を撮影したいとお願いすると快く撮影許可を頂きました。
元々は本物のパチンコ屋さんだったので所々それっぽい雰囲気が残っています。
壁紙のストライプ模様も時代を感じます✨

こちらは正面入口付近、現在正面入口は閉鎖されており横のドアから入る様になっています。
天井を見上げるとゴージャスな照明や部分的にゴージャスな壁紙で昔のパチンコ屋入口の雰囲気が残っていました。


入口付近には手打ち式の古いパチンコ台が展示されています。
ほら穴が子供の頃、おじさんに連れていってもらったパチンコ代がこんな感じでした😅
床に落ちてる玉を拾ってこっそり打った記憶があります。
この時代の台の方が玉の消費が少なくお金の減りも少なかったのかも知れません。
テクニックは必要そうですが…

それでは稼働中のパチンコ台を見ていきたいです。
ほら穴がパチンコをやっていたのは18年くらい前からで10年間くらい、後半はほとんど行かなくなりました。
1980〜1990年代の台は全然見覚えがありません。
ただシリーズ物の台では見覚えのあるキャラクターや知ってるタイトルもあり、タヌ吉君の古いやつだ…とかフライングカーペットの昔のやつだって感じで分かる台もありました。
新しい部類では冬ソナはパチンコをやっていた時に流行っていたので知っています、打った事はないですが😅

ダービー物語

この台はゲームセンター等で見かけた記憶があります。
何でもパチンコ台に液晶モニターが採用され始めた頃の初期の台らしいです。
3インチくらいの液晶でしょうか、小さっ…と思ってしまいますが当時は衝撃的だったのでしょう✨
ゲームボーイの白黒画面が1989年…
SEGAのゲームギアが1990年代発売と液晶モニターが普及し始めた時代…とうとうパチンコ台にも液晶モニターがキターーって感じだったのでしょう。

個人的には液晶モニターが搭載される前の台の方が気になります、アナログな演出でどうやって人を引き付けていたのかな。
パチンコを始めた頃には液晶は当たり前でしたし😅


羽根モノ
羽根モノは玉が開放感チャッカーに入ると中央の役物の口?が1〜2回開き、玉が役物の中に入り、更にその中のVに珠が入ると大当たりになる。
大当たり回数は1〜10ラウンドくらいまであるけど、都度Vゾーンに玉が入らないと即終了となる。
上手くは言えないけどカイジの沼のようにアナログ制御の台なので、どんな形であれVに入れば100%大当たりするので一発台より公平な気もします。
役物の口?が開いた時の姿が飛行機の翼のような姿から羽根モノと呼ばれるようになったのだとか。


フライングカーペット
多分この台の後継機種は打った事がある。
中の役物に見覚えがある、こちらは役物に癖があり大当たりしてもVゾーンに入らず強制終了する思い出が強い。
役物の中のカーペットの上に玉が溜まり、最後にカーペットが一回転すると玉がこぼれ其内の一発がVゾーンを狙うのだけどよく外したイメージ😅


OL娘 【1992】
OL娘ってタイトルが、いかにもおっさんが思い付きそうな安直なタイトルでいいですね。
パチンコ台の絵柄が藤子不二雄っぽくて気になりプレイしました。
こちらは羽根モノで10分ほど打っているとVゾーンに入り大当たりしました。

娘ミンミン…大当たり中不思議な歌が鳴り響きます😍
何だろうと思い後で調べましたが、アイドルグループとコラボした初のパチンコ台らしく、当時大流行した偉大な台だとわかりました。
現在ではアニメをモチーフにした台で大当たりすると主題歌が流れるのは当たり前ですが、この当時は斬新だったようです。

マルマツパチンコで一番ハマりました🤣

他にもタヌ吉君やら、見た事が無い台など沢山あり少しずつ打ちましたが1時間だったので全台までは遊べませんでした。

呼び出しランプ

これは当時物でしょうか、かなりレトロな感じがします✨

レレレにおまかせ

天才バカボンのレレレのおじさんが主人公のパチンコ台😅
スピンオフのチョイスが中々渋いです、役物の中に動くレレレのおじさん人形が入っており、ホウキで玉を弾いてVに入れば大当たりみたいなギミック。
他におまわりさんとウナギイヌが登場する。

この台はシリーズが沢山あり、何代目か全く分からないのですが僕がパチンコをしていた時にも存在しており、よくやってました。
大勝ちはしないけど大負けもしない優しい台だったイメージがあります。
マルマツパチンコの中では新しい部類でしょうが自分が遊んでいた頃の台は懐かしさを感じます。
プレイしてみたけど全然大当たりせず、他の台もプレイしたかったので移動しました🤣
他にも色々な台で遊びました、自分にとってはほとんどか初めて打つ台で新鮮でした。

昔のパチンコ台をまたプレイしてみたい人にオススメです。

今回はかつて全国に700店舗存在したコロちゃんコロッケの生き残り店舗が閉店するとの事で、閉店日にコロッケを買いに行きました。

2024年6月30日、愛知県岡崎市エルエルタウン岡崎の敷地内に存在するコロちゃんのコロッケ屋上和田店が閉店。
普段は閑散としていて、たまにコロッケを買うお客さんの姿がポツポツある程度ですが、閉店最終日は行列ができていました。
閉店日、雨の中最後のコロちゃんコロッケを求め多くの人が並んでいました。

動画↓
普段は様々なコロッケやフライが売られていますが、数週間前から在庫が無くなり次第販売停止をしていた様で、最終日はメインであるコロちゃんコロッケ以外は販売終了となっていました。

※コロちゃん株式会社概要※

■1996年
コロちゃんコロッケは岐阜県恵那市に誕生しました。
最初はアンテナショップとして創業開始。

■1997年
岐阜県本巣市にフランチャイズ1号店が誕生、フランチャイズ展開が始まります。

■1998年
テレビやラジオCM、メディアの露出を増やし知名度を上げて急激な店舗拡大路線が始まります。

■1999年
東京都内八王子市に事業本部を開設、東京進出

■2000年
コロちゃん株式会社として独立

■2002年〜
世界進出開始
ケニア、アフリカ、シンガポール、イギリス等に進出したそうです。
現地のじゃがいもをコロッケにして売り出す理想を掲げていました。

■2007年
名古屋地裁に自己破産申告
25億円の負債を抱え倒産
店舗数
直営店 50店舗
フランチャイズ店 200店舗

コロちゃん株式会社の業績が下り始めたのはコンビニエンスストアで惣菜を取り扱い初めてからと言われている。
一個50円からのコロッケは客単価や利益率低く経営が成り立たないオーナーも多くなっており、店舗数を減らしていた。
破産直前には経営も迷走しており、新しい店舗形態を模索していたらしくコロッケバーガー、コロちゃんカフェ、ポケットパン等の店舗も展開した、いずれも上手くいかなかった様である。

■破産後のフランチャイズ店
大元の会社が無くなってしまった後は、コロちゃんコロッケの看板を残したまま営業を続ける店舗や看板を変えた店舗、撤退等様々なケースがあり現在に至る。

2024年6月ほら穴チャンネル調べでは、コロちゃんコロッケの看板のまま営業している店舗は5店舗なみだった。
その内本部のあった八王子市に2店舗、千葉県、栃木県に各1店舗、愛知県に1店舗のみ存在している。
これはgoogleマップでヒットした店舗の内、掲載画像の店舗の看板から判断した。
元コロちゃんコロッケの店舗もヒットするが看板が違う場合もありこちらはカウントしていない。



そんな感じで波乱に満ちたコロちゃんコロッケですが、関東より西で唯一の店舗、上和田店がとうとう無くなってしまいます。

雨の中最後を惜しむかのような行列でした。

僕個人的には生活圏内にコロちゃんのコロッケ屋が無く(意識していなかった?)思い入れが無かったのですが、You Tubeで存在を知り上和田店に何度か訪れ色々な種類のコロッケを買いました。
本部が無くなった後、残った店舗はどこからコロッケを仕入れていたのかは不明です。
関東の店舗と愛知県の店舗で同じコロッケが提供されていたのかも謎でした😅

上和田店は約20年間この地でコロッケを売っていたそうです。

最後のコロちゃんコロッケを頂きました😋

外はサクッと、中はホクホクのコロッケを頂きました。



余談ですが生協ではコロちゃんコロッケの冷凍食品が売られており現在でも手に入るそうです。

経緯は謎ですがコロちゃんイラストが添付されているので、コロちゃん株式会社が健在だった頃に監修して倒産後も商品は残ったのかも知れません。

今回は実験的に動画の台本としてアメブロで先に記事を書き、これを動画でそのまま読む事にします😅
特に情報量の多い動画は台本があった方がやりやすく、ブログで写真を添付しながら記事を書くとイメージも湧きやすいのでいいかも?と思いました。

動画公開とほぼ同時にアメブロも公開できるかと思います。
トークで台本を読むとA41枚で2〜3分しか持たないです💦
多分この記事もあっという間に読み終わり、後はアドリブになるでしょう🤣
はたまた記事の合間にアドリブを入れる可能性もあります、後は収録次第ですね、はたしてどうなるやら…

今回は以上になります。
今回はかつて高速道路上に存在した本線料金所の跡地を見に行きます。
高速道路を走行中突如現れる料金所、出口でもないのに一時停止し通行券を確認していました。

そんな豊橋本線料金所を見に行きます。
本線料金所の役割や説明は動画を観ていただければ分かりやすいと思います。

動画↓
ストリートビューで現地確認をしましたが駐車できるスペースに不安があり徒歩にしました。



結構歩いて高速道路の脇道に出るとかつて本線料金所があった跡地のコンクリート基礎が見えてきます。
2007年まで運営されていた本線料金所ですがETC普及に伴い存在意義を失い、廃止となったそうです。

ETCが普及する前の高速道路は、入口で通行券を受け取り出口で精算する方式でした、支払い方式は現金もしくはハイウェイカード(プリペイドカード)となっていました。
通行券には入場時間の記載もされていたようですが、短区間の走行にも関わらず退場する時間がやけにかかっている通行券がよく発見されていたそうです。

上下線併用のサービスエリアで長距離を走ってきたドライバー同士が通行券を交換し、短区間で降りた形にして通行料金を安く上げていたそうです。
高速道路全体の被害総額は40億円、内30億円が東名高速と名神高速で行われていたようで、このような不正を防止する為に本線料金所を設置し、不正をできなくしました。
豊橋本線料金所は検察が主な業務で、集金等はしていなかったです。


総工費40億円の豊橋本線料金所、
ETCの普及に伴いアナログ的な本線料金所は廃止されました。
高速道路通行料金不正の年間被害総額が40億円、この本線料金所に40億円投資してもすぐに元は取れたでしょう✨

高速道路上の施設は下道から行くと不便な場所にあり、下道から立ち寄る機会も中々ないのですが普段見ない角度から見るのはちょっと感動的でした✨

本線料金所としての役割は終えましたが、現在では下り線のみが豊橋PAになっており、ドライバーの休憩所となっていました。


今回は以上になります。