~雨上がり~夜明けと四つ葉のクローバー

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虹、7色全部言える?

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今日は「虹の日」なんですねルンルン

「虹の日」があるなんて、初めて知りました🌈

つい先日、仕事で子供達の送迎中に

雨上がりの空にかかる

大きな大きな虹を見たばかりルンルン

あまりにタイムリーな話題だったので

思わずブログを更新してしまいました爆笑


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この写真はその時隣りに乗っていた高校生のHちゃんが撮ってくれたものですカメラキラキラ

とっても上手に撮ってくれました🌈ルンルン

こんな大きな虹を間近に見たのはみんな初めてで

「なんだかすごく良い事がありそうだね🍀」なんて話しながら眺めていましたウインク

雨上がりに

大きな虹が与えてくれた希望と笑顔🌈

「先生見て!」と言いながら虹を指さした
子供達の満面の笑みは

私にとって

虹がもたらしてくれた最初の「すごく良い事」になりました🌈🍀


この写真の虹からも、皆さんに

「すごく良い事」が届きますように🌈🍀






🍀👍🌈


7歳の時に新型インフルエンザで2日間意識不明になり緊急入院し

その時に気管支と肺にダメージを受けてしまったひーちゃんは

主治医の先生から

「この先6年間はただれてしまった気管支やいためてしまった肺が他の子供達よりも炎症を起こし易くなっているから風邪を引きやすかったりこじらせてしまうので、予防をしっかりしていこうね」

と、言われ

「よーし、6年間頑張るぞ!」と笑顔で退院したその日から

昨年の11月でめでたく6年が経ちましたキラキラ

そしてその6年目の10月に重い気管支炎と肺炎で入院して笑い泣きもう笑うしかない

また更に6年間更新したひーちゃんは口笛

先生が仰った通り、その後も色々なウイルスや菌を

頂いてくるわくるわ口笛笑い泣き

で、先週の金曜日に学校でプールに入ったひーちゃん口笛

はい。

アデノウイルス頂きました~口笛笑い泣き

俗に言うプール熱というやつです。

土曜日の深夜、熱帯夜なのに布団をかぶり
毛布まで掛けているひーちゃんを見て

ママの嫌な予感的中ガーンガーンガーン

身体を触ると火だるまのように熱く

体温計を差し込むと瞬時に39度に到達ガーン

一瞬「熱中症!?」かとも思ったりして

もう夜中にパニック💦パニック💦でした

とにかく解熱剤を飲ませ

リンパ節と頭を冷やして

水分をとらせて

外が明るくなる頃にやっと少し布団で横になれたかな…。

朝になるのを待って

日曜日だったので、夜間休日急病診療所に行ってきました病院

アデノウイルスは5日間くらい熱が続くようですが、ひーちゃんには頑張ってもう少し短期間で治して欲しいです筋肉プンプン

その為にはママも頑張るからね筋肉ムキー

今も寝ているひーちゃんは
ウイルスと闘ってるので熱々です炎


頑張れひーちゃん‼️





💪🍀

先日の母の騒動から

私は、やはり精神的にバランスを崩してしまいました。

ブログも全く更新出来ず。。。

でも、仕事は休まずに行けました。

むしろ、仕事があったから救われました。

娘があれだけ頑張って盾になってくれたのだから

私もいつまでも、動揺している訳にはいきません。


あの日、娘は泣いていました。

私の母に怒りの言葉を放った事が

本当に本当に辛かったと。

娘は他人を傷つける言葉をとても嫌がり

自らも口にしません。

娘達2人ともその傾向が強く

時にはその性格がとてもリスクになる事もあります。

汚い言葉や行動が、仲間意識を強くする

そんな歪んだ時代の流れも実際にはあるからです。

そんな娘が泣くほど辛い思いをしながら守ってくれたのですから、私も強くならなくては。








明日は母の誕生日です。








🍀







仕事中に突然母から着信がありました。

携帯に表示された母の名前を見た瞬間から

全身から血の気が引くのを感じました。

嫌な予感がして直ぐに弟に連絡。

やはり、弟と意思疎通の出来ない事があったようです。

そういう時だけ私を思い出す母です。

私が電話に出ないと母は長女に電話。

母に私と同様に苦しめられた長女も電話に出ないでいると

母は別れた夫の実家にまで電話をかけました。

自分が満たされている時は

私の事を実家の恥さらしだと言った母です。

私の事は実家のそばにはおかないと言った母です。

余りに勝手な母にパニックになりそうだった時、長女から「私が話をするから任せて」とLINEが入りました。

「お母さん大丈夫?」

娘は過去に母の事でパニック障害を患った私を心配していました。

娘からのLINEに「大丈夫よ。」と返したつもりが、なんと仕事のグループLINEに誤送信してしまうという失態。

仕事中に私事のLINEをするのも御法度なのに、本当に申し訳ない行動をとってしまいました。



母は想像した通り、長女を攻撃(口撃)しました。

私が電話に出ないのは長女が狂言を言って私を丸め込んでいるからだと。

私から長女の愚痴を散々聞かされていると。(そんな事は有り得ません。全部母の作り話です)

母が自分に都合良く作り話をする事は以前からよくありました。

(自分がこれまで私にしてきた愚行は全て無いことになっていたそうです。)

それだけでなく、身体が弱い長女に親と妹を助ける事も出来ない親不孝者だと。

その他にも、ここには書き出せないような酷い言葉を浴びせられ、長女は完全に心が折れてしまいました。

娘は私に「親不孝者でごめんなさい。ごめんなさい。」と、泣きながら謝りました。

そんな事はまったく無いとどんなになだめても、娘は自分を責め続けました。

おばあちゃんからとにかくお父さんとお母さんを守ろうと頑張ったけど、先に心が折れてしまった。力不足でごめんなさいと、声を上げて泣いていました。

何度もなだめて、母の言う事は事実ではないと伝えて、娘はようやく落ち着きを取り戻しました。

私は母に怒りを覚えました。

長女に辛い思いをさせてしまった自分にも腹が立ちました。

母が私達と連絡を取りたかった理由

それは来月の母の誕生日を祝えというものでした。

私の誕生日、何もして頂いてません。

連絡もきていません。

そういう人です。



母の誕生日は祝うのではなく

私と娘達の

親子の絆を再確認する日だと思うことにします。

それが唯一、母に感謝出来る事だからです。

母のおかげで私の家族がひとつになれる日。

そう思いながら娘達と過ごしたいと思います。







🍀🍀🍀










「父の日に」というタイトルでブログを更新しました。

私にはもう一人、その後の私の人生の中で「お父さん」になってくれた義父がいます。

とても厳しくて

いつも私の事で母と喧嘩をしていて

意地悪も沢山されて

邪魔にされて

突き飛ばされて

本当に本当に大嫌いだった義父は

私のお父さんになった時、まだ23歳でした。

誰が見ても明らかに親子じゃないとわかるのに

義父はどの人に会っても私の事を「娘」と紹介していました。

お花見に行った先の出店の奥さんに私が「お父さん似だね」と言われるとご機嫌でした。

それでも私はパパと正反対のお父さんが嫌でした。

高校生の時、パパのゴツゴツした大きな手が恋しくて

「良く頑張ってるね」と、あの手に頭を撫でて欲しくて突然パパの職場を訪ねてしまったあの日

私が見たパパの手は、ずっと恋しくて大好きだったゴツゴツした手ではありませんでした。

私の記憶の中の大好きな父の手は

幼い私と手を繋いでお花見に連れて行ってくれた大工さんの義父の手でした。

若かった義父は、母との結婚で突然小学生の父親になり、どう接して良いかもわからなかったと思います。

義父にとっては新婚時代も私のせいで無かった事でしょう。

邪魔にも思うし、イライラもしたでしょう。

必要以上に厳しく躾られたのも、その責任からくるものだったのだろうと思います。

私が娘達を産んだ時、義父は今度は会う人会う人に「俺の孫だ」と言って紹介していました。

長女が産まれた時はまだ義父は41歳でした。

おじいちゃんと呼ぶにはまだ若い義父は

仲間から孫がいることをからかわれる事も度々ありましたが

そんな事は気にもせず、その溺愛ぶりに次第に見た目もおじいちゃんになっていきました。

話は前後しますが、私の結婚式でも1番最初に泣き出したのは義父でした。

母は「お前が居なくなるから嬉し泣きしたのよ」と言ってましたが

前の日の夜、義父は私の部屋に来て「おめでとう」と言って私を抱き寄せ、泣いていました。

そんな義父を見たのは初めてで、その時はやはり怖さしかありませんでしたが

今になると、その時の義父の想いがとてもありがたく、私は幸せだったと思えるようになりました。

今は母の為にすっかり疎遠になってしまいましたが

どんなに疎遠になっても孫想いの優しい義父はいつでも変わらない態度で私達を迎えてくれます。

あの母と添い遂げられるのですから本当に凄い人です。

母を安心して託せるお父さん。

実の父よりずっと長い間見守ってくれているお父さん。

ありがとうございます。

長生きしてね。




🍀