深くて長い時間
今朝はちょっぴり早起きして仕事に出る前にミキとお散歩ができた。
人気のない朝の林にはたくさんの小鳥たちが歌を歌いながら、枝から枝へとすう~と飛ぶ。
どうして次に飛び移る枝先が一瞬でわかるの?
鳥たちの歌声は、仲間と対話するように林の空に響く。
それは、どんなオベラ歌手でもかなわないかと思うような響き。
あんなに小さな身体で。
なぜ、音階を一度も間違わず歌えるの?
裸の大木を見上げると、まるでそれは空の中の線香花火。
その細い枝先にはきっとたくさんの春を待つ芽が今も空へ向かって膨らんでる。
なぜ、その枝先にはいつも素敵な色の花をまとえるの?
小さいときから、ずっと思ってた。
どうして?
どうして生まれてきたの?
そしてその後はどこへ行くの?
みきはうれしそうに、林の鳥と木々と、空気と一体になってやわらかい足取りで歩く。
その瞬間、鳥のさえずりが消え、木々を揺らす風が静まり。
あるのは静けさのみ。
深くて長い一瞬。
いつもの時計が刻む長さと違うとき。
それから、レッスンへ。
はじめてのかたに、そしてもう1年、2年、3年続けているかたにへのレッスン。
それは誰もが自分の中にあるあふれる可能性を自分の力で見つける時間。
体の動きを通して自分の感覚を感じる時間。
そこには森と同じ、いつもと違った深く長い時間が流れている。
Flow-Movementの世界へようこそ。
みんなが花となり鳥となる時間。
FLOWを止める自分のなかにある様々な感情
おはよう。
ひょんなきっかけで、こうして自分の気持ちを文字にしてみると、「そとからみてどうかな?」なんてイロイロ考えが出てきたことを昨日発見。誰にも見られてないとわかっていてもこういう気持ちがでてくるのだからおもしろい。
それは、すこし縮まったような感覚で、気がついたら体がちょっぴり同じように反応して右の肩と首筋、そして右の腰のあたりがなんだかかたい。
そして「不安」な気持ちがそこにあった。
いつもこころに思っていた「大切な気持ち」を、文章にしたとたん、「どう見られるか」という「不安な気持ち」のほうが優勢になったみたい。
「傲慢さ」
「不安」
「お金」
そして「罪悪感」
これらに自分が動かされるとき、とっても不快な感じがあるでしょ。そして身体もいたくなる。
親切に自分の中の本当の自分がサインを送ってくれている。ありがとう。
だれもいない森の中をミキと散歩すると、鳥たちがすう~と一瞬で軽々と地面から木の枝に飛び移るのに遭遇する。
蝶があんなに小さいのに人間なんかよりもっと軽々と私を追い越して何かに導かれて飛んでいる。
ミキは脚にも手にも力を必要とぜず、胴体をしなやかに使ってぴょンぴょン駆ける。
寒い寒い冬の樹木の枝には、小さな芽がだくさん。それはこの今の瞬間も満開の花に向かって見えない速度で、開いていっている。
なんてすばらしいことがたくさんあふれているのかと、鳥も蝶も樹木もそして、すべての自然のいとなみは、flowをさえぎらず、そこにいる。そしてそのすばらしいひろがるパワーは人間のなかにも、みんなの中にも自分のなかにもある。
それを見つける、感じる、そのために生まれて生きているんじゃないかと。
そう思ったら、不安な気持ち、がいつの間にかいなくなったのに気がついた。
体も気持ちも軽い。
FlowなMovement
そのとき、まわりとひとつになる。
どんな一日を経験するかは、自分が自ら選ぶことができるってこと。
昨日と今日のことでまた経験できた。
「不安」になることもOK!
大丈夫。
それも、Flowを感じるための大切なlレッスンのひとつ。
偶然のきっかけで
今日、空欄の自分へのブログが偶然手元に届きました。
そのままにしておこうかとも思ったけれど、自分の気持ちをつづるスペースにしてはどうかなという考えがふと浮かんできました。誰かにみられているのでもないですから。ほんとうの自分にあてて。
今日ひらめいたこと。
いつもは書き留めずにそのままだけど。
レッスンでは生徒さんが自らの力で自分なりの発見ができる空間をつくってあげることを大切に。
そして、みんなにそれぞれその力があることをこころから信じて見守る。
ミキが怪我をしたとき本当にこころからそう思って看病したら、元気になったこと思い出して。
そう思ったときのあの偶然自分のなかにひろがった、心地よい感覚と一緒に。
仕事でもプライベートでもこれからいつもこのこと覚えていたい。
つい「こちらから教えることに夢中になってしまう自分にすぐ気づけるように」
そんなときは必ず不快なサインが身体や感情にやってくるから、そのサインを見逃さず・・!
そして自分とのつながりでこのことを大切に。。