好きなミュージシャンは沢山います。ジミー・ヘンドリックス、ドアーズ、セックス・ピストルズ・・・・・そしてジャニス・ジョプリン。彼女が歌った「サマータイム」から受けた衝撃は忘れられません。
この曲が納められたアルバム「イン・コンサート」は1972年、彼女が27歳で死んだ2年後に発売されたのですが、パフォーマンスだけでなく、歌詞の内容が衝撃的だったんです。ただ、始めて聴いたときには歌詞の中身は理解できませんでした。私の語学力では全く歯の立たない英語でした。
言うまでもないでしょうが、この曲は、1935年に上演されたオペラ「ポギーとベス」のためにジョージ・がーシュウィンが作曲し、ドゥボース・ヘイワードが作詞したものです。楽譜は直ぐに見つかり、歌詞の内容はわかりました。
出だしではのどかな夏の風景を見事に描いているのですが、綿花が大きく育ったという一言で光景が一変します。綿花と言えば過酷な奴隷労働と密接な関係にあるわけで、避暑地の明るい太陽の光は、肌を焼き付ける炎へと姿を変えます。
そして、大きくなったら、お前は歌いながら起き上がり、翼を広げて大空へと飛び立つんだよ、そしてその日がくるまでは自分たち両親がお前を守ると赤ん坊に語りかけるわけです。つまり、人間は大空へ飛び立つことができ、大空では傷つくことになると見通しているのですが、それでも飛び立つべきだと歌っています。
1971年には、日本でも「翼」をキーワードにした歌が発表され、ヒットしました。言うまでもなく、赤い鳥が歌った「翼をください」です。この曲と「サマータイム」の差に愕然としたのです。
「翼をください」の場合、翼を持っていません。もし翼があれば、「この大空に、翼を広げ、飛んでいきたいよ。悲しみのない、自由な空へ、翼はためかせ、行きたい」というわけです。でも、翼がないので大空には飛び立てず、悲しく、不自由な地上で生きる、つまり理不尽であろうと何であろうと、社会の「空気」には逆らわないということなのでしょう。
しかし、「サマータイム」は違います。人は大空へ飛び立つことができ、その自由な大空では傷つくことがあると見通されています。それでも飛び立てというのです。この2曲を聴いたとき、正直言って、日本人はアメリカ人に勝てないと思いました。残念ながら、私自身も「サマータイム」的な生き方ができているとは言えません。
この曲が納められたアルバム「イン・コンサート」は1972年、彼女が27歳で死んだ2年後に発売されたのですが、パフォーマンスだけでなく、歌詞の内容が衝撃的だったんです。ただ、始めて聴いたときには歌詞の中身は理解できませんでした。私の語学力では全く歯の立たない英語でした。
言うまでもないでしょうが、この曲は、1935年に上演されたオペラ「ポギーとベス」のためにジョージ・がーシュウィンが作曲し、ドゥボース・ヘイワードが作詞したものです。楽譜は直ぐに見つかり、歌詞の内容はわかりました。
出だしではのどかな夏の風景を見事に描いているのですが、綿花が大きく育ったという一言で光景が一変します。綿花と言えば過酷な奴隷労働と密接な関係にあるわけで、避暑地の明るい太陽の光は、肌を焼き付ける炎へと姿を変えます。
そして、大きくなったら、お前は歌いながら起き上がり、翼を広げて大空へと飛び立つんだよ、そしてその日がくるまでは自分たち両親がお前を守ると赤ん坊に語りかけるわけです。つまり、人間は大空へ飛び立つことができ、大空では傷つくことになると見通しているのですが、それでも飛び立つべきだと歌っています。
1971年には、日本でも「翼」をキーワードにした歌が発表され、ヒットしました。言うまでもなく、赤い鳥が歌った「翼をください」です。この曲と「サマータイム」の差に愕然としたのです。
「翼をください」の場合、翼を持っていません。もし翼があれば、「この大空に、翼を広げ、飛んでいきたいよ。悲しみのない、自由な空へ、翼はためかせ、行きたい」というわけです。でも、翼がないので大空には飛び立てず、悲しく、不自由な地上で生きる、つまり理不尽であろうと何であろうと、社会の「空気」には逆らわないということなのでしょう。
しかし、「サマータイム」は違います。人は大空へ飛び立つことができ、その自由な大空では傷つくことがあると見通されています。それでも飛び立てというのです。この2曲を聴いたとき、正直言って、日本人はアメリカ人に勝てないと思いました。残念ながら、私自身も「サマータイム」的な生き方ができているとは言えません。