今年85歳の父が懐かしい写真をくれました
わたしと同級生のいとことで一緒に柳ヶ瀬通りにいる写真です
わたしは18歳になるまで柳ヶ瀬で家族と親戚とで、総勢14人で住んでいました
わたしたち家族と父の兄弟家族と、おじいちゃんおばあちゃんでみんなで同じところに住んでいました
ご飯を食べたり生活する部屋はそれぞれでしたが、
お風呂はひとつの風呂に時間をずらして入り、お正月には毎年祖父母のいる部屋に集まり皆でお雑煮を食べました
同級生のいとこは同性で、幼稚園も小学校も同じ、習字教室も同じで、いろいろな話をしたり、小さい頃は遠くまでよく一緒に遊びに行ったりしました
これは柳ヶ瀬通り3丁目です
足元がタイル舗装されていない頃です
わたしと同級生のいとこは幼稚園の頃だと思います
岐阜幼稚園(西別院)にバスで通っていました
この写真に写っているヒラミツという2階まで店舗の玩具屋さんには階段や奥の方にケースに入ったフランス人形がたくさん飾ってあり、ケース越しにいつもドレープやフリルのたっぷり入ったドレスやその優雅な仕草にうっとりと見入っていました
靴のダイアナ、懐かしいです
その横の電気屋さん、その横の鰻屋さんは今でも同じ場所にあります
その南側のタバコやさんも今も同じ場所でお店を営業して見えます
商店街で現役で営業するご長寿のお店には頭の下がる思いです
昔は柳ヶ瀬本通りと平和通り(今の金華橋通り)の角に岐阜交通のタクシー乗り場がありました、
現在の岐阜バスのバス停は昔は市営バスのバス停で、バス停の前にはダイデンという大きな電気屋さんがあり、夏になると店頭には扇風機がたくさん並び、それぞれバラバラに回る扇風機にリボンが付いていてそれがパタパタとたくさん風に揺れていたのを思い出します
今はないですが、西側の道路へ通じる地下道がありました
その頃の地下道には、昆虫だったか、魚だったかの水槽があったような気がします
子供たちの描いたポスターや絵も展示されていました
これは小学生になった頃の写真で、町内の神輿つりの写真です
家は薬局でしたが、近所の喫茶店のおじさんもみんなで神輿をつり柳ヶ瀬や若宮町を練り歩き、岐阜まつりを盛り上げました
今でもみこしつりあるのかしら?
神輿に付けられたメインロード柳ヶ瀬の旗が眩しいです
これは仮面ライダー?あんまり憶えてないけれど、大人神輿と子供神輿の2台あったのは憶えています
メインロード柳ヶ瀬っていう響き、
長いことそう呼んでいました
わたしたちが住んでいたこの背景のビルは今でも残っています
ここの2階にわたしたち家族は住んでいました
窓を通りから見上げると、今でもその頃の風景がありありとよみがえってきます
わたしの部屋からは窓から風鈴を下げていました
今はなきお店、レディショップちづる、と書かれています
こちらも3丁目にありました
祖母や母と、よくお店へ行きました
その前は靴のキャロンです
靴屋さんが柳ヶ瀬にはたくさんありました
昭和30年代からの高度経済成長期を支えてきた親に育てられ、80年代90年代の元気な頃の商店街で多感なころを過ごしたことが、良かったのかそうでなかったのかは分かりませんが、
どの写真も楽しそうな顔をしています
親が店にずっといて(その頃の薬局は夜9時まで営業していました)寂しかった記憶も多いですが、今写真を見て振り返ると、楽しかった記憶がありありと思い出されます
父がくれた写真以外にも昔の柳ヶ瀬を顧みるものがありましたら、またこちらからご紹介していきたいと思います
今、メディアコスモスに柳ケ瀬HISTORYという企画で昔の写真が展示されています
この展示の写真を見ていると、わたしが暮らした昭和40年代以降の柳ケ瀬よりも、もう少し前の柳ヶ瀬はさらに活気があったように感じます
ちょうど父や祖父の世代くらいでしょうか、
丸物や長崎屋の頃よりももっと昔、、、
機会にふれ生粋柳ヶ瀬っ子の父にまた聞いてみようと思います
急に冷え込みが深まってまいりました、
ご自愛のうえご体調にはお気をつけてお過ごしくださいませ