特講4 まちを描く
町の特徴を調べてレポートを書いている。
特徴の一つに、水運に恵まれ、江戸市街地に近いことから農村が川沿いに作られたことを書いた。
砂村の開拓は、砂村新左衛門が行った。特産品は砂村人参と砂村ねぎ。
原材料や製品を運ぶのが便利なので、工業も発達した。
釜屋堀は、釜や鍋を作る鋳物師さんが住んでいたから、屋号の釜屋で呼ばれるようになった。
鋳物で有名な埼玉県川口市の鋳物について書かれている「天水桶あれこれ」さんのブログに、釜六さんが紹介されている。
猿江恩賜公園には、木蔵(きぐら)があった。「ミニ木蔵」が作られ、貯木場が再現されている。
新大橋通りから公園北側に入り、右側に約1600㎡の水面を見ることができる。
そして、明治時代になると、農地がどんどん工場地帯に変わっていった。
北砂には製糖工場。釜屋堀には人造肥料工場。油脂工場、セメント工場、小麦粉工場。
軽工業から重工業へ、工場の種類が変化しても工場が多いことは変わらない。
さて、「東京人造肥料会社本工場」は、渋沢栄一が支援して高峰譲吉らが建てた。
高峰譲吉は消化酵素を研究してタカジアスターゼを発明したと、小学生のときに伝記で読んだ。
「化学肥料創業記念碑」が、都立科学技術高校の南にある小さな公園の中に建てられている。
今年は渋沢栄一が大河ドラマになるので、ナレーションだけででも紹介されないかなあと思う。
翌日、親戚を一人思い出して、検索してみた。
そうしたら、小名木川について検索したときに訪れたサイトが出てきた。
「江東区農業の肥料と軌跡」という資料です。平成23年度江東区文化財保護推進員中級研修会報告書。
ホームページにバナーが貼ってあるのでリンクが切れないと思いますが、
奥村商事株式会社トップページへのリンクも貼っておきます。
うん、親戚は「肥料農業新報」の社主でした。思いもかけぬ肥料繋がり。
肥料農産新報に「奥村商事株式会社創業140周年」が掲載されたことをニュースとして書いてくださってます。
紙面がそのまま載っています。
嬉しいです。
父は俳人・作家。弟は編集者・作家。親戚は社主兼社員。
両親は俳句が縁で知り合い、結婚しました。
文筆業が家業のようなものだと改めて思います。
FLORAは、読み書きが大好きだけれど、まだ一冊も形にしていません。
死ぬまでに一冊は、形にしたいです。自費出版でなくて。
久染健夫先生や梶さんみたいに、オーソリティーと呼ばれてみたい。