ごきげんよう。

激しい日の光にさらされていた日々から、もうすっかり冬のとがった空気を感じられる日々になってしまいました。
こうして長い時間をあけてしまったのは、わたくしの飽き性のせいです。
けれどもここ数か月は忙しくもあったというのも理由のひとつになるでしょうか。

実はわたくしの勤務している会社の社長と副社長がほぼ同時に入れ替わりになってしまったのです。
未だ新しい副社長の方はいらっしゃっていませんが、新しい社長は先週にいらっしゃいました。
その社長と奥様の身の回りのお世話で最近は特に多忙を極めておりました。

さて、こうしているうちに、またあらたに社員の方で異動される方が決まりました。だいたい三年ほどで支社から支社、あるいは本社に異動される方が多いのですが、この方はかなり長くこちらで務めていた方で、非常に頼りがいのある存在でした。遅かれ早かれ彼が異動することはわかっていたのですが、やはりそれがわかってしまうとなにやら寂しい気持ちになりますね。

そして次に長くいらっしゃる方がわたくしがお慕いしているあの方。
今は新しい社長の仕事の補佐と副社長の不在、また専務の要領の悪さのせいで大変忙しくされていらっしゃいます。
けれどこれが過ぎたら、おそらくは本社に異動となってしまうのでしょう。

そこでわたくしの頭に浮かんだのがこの記事のタイトルでした。
高村光太郎はわたくしが好きな詩人のひとりです。
学生時代には萩原朔太郎と高村光太郎、ランボォやボォドレェルなどをよく読んでいたものです。
こちらは『人に』という智恵子抄の冒頭にある詩です。あまりにも有名なので説明は必要ありませんね。こちらの詩の実直で情熱的なところを、わたくしはとても気に入っております。
これほどまでに恋をされていたら、どんなに嬉しいことでしょう。
愛ではないのです。恋なのです。

いやなんです、あなたのいってしまうのが。

ゆうこ