あ~さん
それはオットセイの亡き母が 生前呼ばれてた名前
義母は お料理が上手で キッチンが居場所の 奥ゆかしい女性
カレーライス
沖縄天ぷら
アイスティ・・・・・etc
昔ながらの黄色をしたカレーライスは 具材もゴロンゴロン
別段 凝るのでもなく 普通のカレーライスでしたが
なんというのかしらね
母の味 家庭の味でしたね
カレーライスの作り方を教わってね
オットセイが太鼓判を押す旨さも
機を逃して 教わることが できなかったのは 残念です
それから アイスティ
大きなやかんに リプトンティーパックを沸かし砂糖で絶妙な甘さを
醸し出す日課
あれは プロのアイスティでした
私の作る料理のオンパレード↑
オットセイが好まないゴチャゴチャ料理です
亡くなってから 思い出す その人の料理の数々
さて
私が亡くなったら 何か思い出してくれるでしょうか
哀しいかな それは ないと思っています
家族が徐々に少なくなり 外食が多いオットセイとの
食生活は
まさに孤食
おいしいね また作ってね
それを聞きたいがために キッチンへ立つのもありですね
言葉って大事です
寒いと 甘いのが欲しくなります
そんな母を持つ子どもたちですが
料理は 上手です
娘は どこで覚えたかと思うほど 上手
結婚して 共にテーブルを囲む家族に恵まれたからでしょうね
魚汁が 並んだ時には 驚愕しましたよ
この母は 作り方を教わってきましたが 未だに作っていません
それから長男
材料から凝って 味付けなど美味しく料理します
お嫁さんは・・・・私に似て 得意ではありません
結婚前に 「私は料理はできません」と言われました
「大丈夫 ぼくが作るから!美味しくね♡」
現在も それらは 健在なのでしょうか
名古屋の次男いわく
お母さんの料理 センスないよね
胸にズン 堪えるわ
亡くなってからも あの人の あれが食べたいな
と 言われる人には なれなかったにゃ(=^・^=)
おかあしゃん
フォローしましょうか
おかあしゃんは 働いてましたから 料理に時間は
かけられなかったのだワン
しかも 不器用だから 作り置きや 下ごしらえも
しなかったしね
あの頃から 外食が始まりましたよね
ぼくは まだ家族ではなかったけれど そう思います
(´;ω;`)ウッ… ありがとうラッキー
ラッキー 優しい言葉を ありがとう
ステキな日々をあなたへ