今日は父の日ですね

今日の記事は何となく・・私の父親のこと書いてみようかなと思います

私の父は、
昔ながらのとても頑固で厳しい父でしたがふと見せる私たち娘への愛情はまさに『子煩悩』そのものでした。
私が誕生した頃から父は腎不全にかかり、何度も手術を繰り返してきました。
子供ながら『手術はもう嫌だ・・』という父の弱音 可哀想でたまらなかったものです…
そんな父でも透析をしていた時は毎週数回病院に通い体が浮腫まないように食事は減塩、大好きなお酒も控える毎日
長期の旅行もできない暮らしでしたが、私がまだ小さい頃は時間を見つけてはよく色んな所に連れて行ってくれました。
生活そのものは大変だけど、病気を感じないくらい普段はよく動き回る父でしたよ。
自営業だったので、普段は食事をしては遅くまで仕事・・の繰り返しで
もちろん田舎なので都会のような娯楽は少なく、真面目なそんな父をみてきました。
時には、メールのやり取りが慣れず 『おつかれ°』とだけ入ってきたのに笑えたのも思い出します!(マルの場所が可笑しいな)
ある時お父さんがこう言ったのを覚えています。
『あんた達(姉妹)の将来が楽しみだ』と。
私たち家族が不自由なく暮らせるようにほんと仕事ばかりでした。
多分、普通の人よりも自分は長生きできないかもしれないからという一家の大黒柱としてのプライドだったのでしょうね

もし留学したかったらどんだけでも行かしてやるよ、とも言われました。
『あんたらの小さい時に入退院の繰り返しでお父さんらしい事してないから、オラが孫の面倒たくさんみたいんだ・・』
と妹に言っていたようです。
私が高校生のある日 一本の病院からの電話 父に適合する腎臓が 僅かな確率で見つかったとの連絡が入りました。
家族で話し合いの結果 移植手術を受けることになりました。
もう 手術は嫌だ と言っていた父 これが最後!とその腎臓にかけて見ることにしたのです。
手術は成功 普通の人と同じ生活が十何年ぶりに戻りました。
お酒も気持ちよく飲めるようになり、週数回の通院もなくなり、免疫抑制剤のたくさんの薬は飲まないといけないものの 久しぶりに父49歳 これでちょっと寿命が延びた…と明るい光が見えたのです

しかし私が大阪にでて何年か過ぎた頃、もともと機能しなくなった腎臓に癌が見つかり、摘出したけどその後肺とリンパに転移が見つかり辛い闘病生活もむなしく55歳で天国へ旅立ちました。
癌の転移からも、様々な治療は受けながら私たち家族は父の寿命を聞かされました。私は生活が大阪にあり、もうこの仕事のお客様をかかえていましたので、ひと月に一度帰る状態がしばらく続きましたが、父はもちろん、そばにいる母や妹はどんなに大変だっただろうと思います。
どこかでこの決して背けられない現実から逃げていたのかも知れません。お見舞いに行っても涙しかでてこない、実家でひたすら妹と泣きはらした日も忘れません。
父が病気と戦っている間、私は大阪で仕事を一生懸命頑張るしかなかったので、それが今の独立してお店をする原点になったのかもしれません

亡くなって8年経った今でも父親の存在は大きく、何となく近くでみられているように感じます

『親が子を愛する無償の愛』当たり前のようでみんなそうではない世の中
私はこの父親のもとで産まれ、育ててもらった事を幸せに感じます。不運にも父は病気を背負う人生でしたが、だからこそ前向きに私達を一生懸命愛してくれたのだと思います

悔しくも55歳という若さで一生を終えた父にできなかった親孝行を父以上に母親にしてあげたいと思います

せめて最期に父から強く言われた
『喧嘩せず家族みんな仲良くしていかれ』という言葉を残された私の家族は これからもずっと守ろうと思います

富山から大阪に戻る日また来るね!と言いながら心の中これが最後かも…と別れたあとすぐ悪化してしまいとんぼ帰り、
薄れていく意識の中手を握り
お父さんの娘で良かった・・
と伝えられた事が幸いでした。
たまにふと父を思い出す時があります。父が亡くなった今でも、何かに挑戦する時 ポンと背中を押してもらってる気がしています

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