fleur de nico
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ノルウェイの森

映画「ノルウェイの森」を観てきました。


率直に感想を言えば「良かった」です。しみじみ良かったです。



自他共に認めるハルキストの私nico*、周りからも「もちろん観に行くんでしょう?」と言われてましたが、「ノルウェイの森」は私の中では村上作品のワースト3に入る作品で、トラン・アン・ユン監督かつ松山ケンイチくん主演でなければ観なかったかもしれません。また変わった手法(↓に記載)で描かれる村上作品をどのような解釈で映像化されるのに興味もありましたし。

原作に出会った頃の私はまだ夢見がちな少女であまりの性的なシーンの多さに辟易し、愛とはもっと美しいものであると信じたい年頃だったからでしょうか。村上作品は何十回でもリピートして読む私が1度読んだきり二度とページを開く事がなかった唯一の作品でした。


しかしトラン・アン・ユン監督の期待を裏切らない映像美が少し現実味を欠いているせいか美しい、しみじみ美しい、そして哀しい作品に仕上がっています。また若い頃にはわからなかった村上氏が何を書きたかったのかを、手に取るように心に染みいる作品でもありました。

この小説は村上氏がギリシャ、イタリアに住んでいた頃(約20年前、エッセイ「遠い太鼓」参考)に書かれたもので氏が「この小説は舞台が日本にも関らず宿命的にが異国の影が染みついている」と語っておりましたが、風景のみならずその映像から伝わる空気感までもが異国を感じさせるのは圧巻です。




村上氏は作品を書く時、大きくわけてA,B,C,Dと言う構成があったとしたら敢えてC,A,B,Dという感じに並びかえ

更にBを丸ごと抜き取ってしまうという手法をとっているのだとか。

つまりBの部分は読者それぞれの想像力にお任せするという事でしょうか。また村上氏もインタビュー等で小説の中の曖昧な部分については「好きなようにとってください」と答えているし。そう言われれば私の周りのハルキスト達は同じ小説でも結構違う解釈をしているのも納得です。


で、以下私の解釈です、あくまでも。


人は頭で考えて求めるものと心が求めるものは常に一致しているわけではない。

人は考える能力(理性?)がある唯一の動物である。しかしそれはは幸せな事なのだろうか、果たして?

心の声だけに従える程、人って強くない...そうあれたらどんなに幸せだろうと思いつつ。

直子は心の声を必死に聴かないようにしていたように思う。

キズキを愛しているはずだと思っていた、また愛していたいとも思っていた。

本当はワタナベに惹かれていたのに。

「そんな筈はない」と必死に自分に言い聞かせるもキズキが死んだのは自分のせいだと徐々に気付き始める直子。そして自らも命を絶ってしまう。

哀しいのはワタナベが直子は心神喪失で自分の思いが一方通行だと思っていた事。

直子が本当に心を失っていたら、直子は死ぬ事はなかっただろう。

直子はむしろ... 心など失ってしまいたかったのではないか....


本当に心がギシギシと音を立てそうな哀しさってこういうのを言うのだろう。


でも、どんなに辛くてもたいていの人は生きているし、生きて行かなくてはならない。


だからこそ小説冒頭の37歳になった主人公ワタナベがビートルズの「ノルウェイの森」を耳にして若かりし頃の辛い恋を回想するという出だしはカットすべきではなかった、唯一残念な点です。

映画を観てからもう一度原作を読みなおそうと思った唯一の作品でもありました。



思わず購入してしまった素敵過ぎるパンフレットラブラブ

↓↓↓



fleur de nico-ノルウェイ




こんなん作りました☆

増えすぎた糸の整理に頭が痛い今日この頃↓↓↓


fleur de nico-きたない



んでこんなん作りました↓↓


fleur de nico-糸巻き


私もはじめて知ったのですがホームセンターには(どこでもあるかは定かではありませんが)

材料さえその店で買えば誰でも使用できる加工室というものがあるのです。

店員さんにも心配されつつ何とか完成♥



fleur de nico-すっきり


何とか↑↑↑ ちょっとスッキリ 音譜